牛の作法

カテゴリー: 八ヶ岳ライフ

ウオークコースの下見で牧場を歩いていたら、牛たちがバリバリと草を食んでいた。あまりの音に足をとめて耳を澄まして聴いてみたら、いや迫力満点。今日は雲が低いからか、バリバリ、ボキボキ、ザキザキと草のむしりとられる音があたりにこもる。ウルサイくらいだ。今まで高原の牧場で聞こえる音といえばカッコウの鳴き声と牛の鳴き声くらいかと思っていたが、草を食む音というのがあったとは。
命が命に喰われているという音である。飼料ではあんな音はしない。
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好奇心の強い1頭が近付いてきた。鼻息が荒い。草を食むとき彼らの鼻は常に地面に接しているから「フンフン」とハナイキを吹きかけて何かを吹き飛ばしている。この音もすごい。バリバリ、フンフン、ザキザキ、フンフンと、大地低くf分の1のリズムが流れる。
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草を食べては塩をなめる。塩分はとらなきゃね。
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中には自分の尻尾をなめているヤツがいる。
オシッコがくっついているのを塩代わりになめているのだろうか(~_~;)

しばらく眺めていて考えた。牛って一体なんだろう?
「動物か?」「家畜か?」「食べ物か?」
牛に老後はあるのだろうか?
牛の喜びはなんだろうか?
なんの為に生きているのだろうか?
そもそも彼らは「生きている」のだろうか?
ごく単純に割り切って、全ての生き物は種を継続させるために生きている、とすれば
牛たちは、生殖行為すらしない。
自分の親も知らず自分の子とも一緒にいられない哺乳類というのは、ひょっとすると牛だけではないだろうか? 「個」が「今ここに」いるだけだ。やけに哲学的な存在ではありませんか。
ヒトも牛もこの地球上に生きる同じ「いきもの」だとすれば、ヒトは相当肩身が狭い。
てなことをネ、考えながら歩くのもたまには良いものです。

そんなこととはまるで関係ありませんが
いのちの作法」の自主上映の日が近いデス。もう少しで昼夜とも満席となります。
夜の部に若干名余裕がありますので、観るなら17:00、長坂コミニュテイセンターで絶賛上映予定中

音楽会

カテゴリー: 八ヶ岳ライフ

ある素人合唱団が創立30周年を迎え、記念コンサートが行われました。「歌こそ我が人生」という意味の名前を持つその合唱団には、私の知っているヒトも5〜6人属しているので、本日聴きに行ってきました。正直に言うと私はこういうコンサートは苦手なのですが、お馴染みの曲ばかりのメドレーで始まったプログラムは大変親しみやすく、聴き手にやさしく、いい雰囲気なのでした。
一番後ろの方の席に座ってしまったので、知人の声も顔も判別が難しかったのですが、それでもなんとか、知っている5〜6人の方々を見つけ出し、コーラスを聴きながら、彼らの(私の知っている)日常を一人ひとり思い出してみたのです。なんで彼らが「歌」なのか?
一言でいえばまさに「歌こそ我が人生」なのでした。ある方は離婚され、ある方は大病を経験され、ある方は見知らぬこの地に移住され、ある方は現役で忙しい仕事に就いていること等などを私は知っています。それぞれに波乱万丈な人生を送りつつ、一方でこんな素敵なコーラス生活を続けていたなんて・・・。いや〜、知らなかったけど、だからこその彼らだったのだなぁと、なんとなく合点がいきました。ヒトが何かに向って一生懸命打ち込んでいる姿を見るのは大変気持ちが良いものです。歌声の後ろにある人生を想像し拍手を送りつつ一緒になって歌の世界に入っていけるというのが、こういうコンサートの良い所なのだと気がつきました。
しかし遠めに見ると平均年齢が高そうな合唱団で、歌いながら倒れちゃうんじゃないかと思われる方もちらほら・・・(~_~;)。そのせいか声量に圧倒されるような迫力はなかったなぁというのが正直な感想ですが、その分、「人生」を感じさせるコンサートで、良かったデス。残念ながら私は途中で呼び出され最後まで聴けなかったのですが、「コーラスっていいなぁ」と感じさせてくれた今日のコンサートは大正解・大盛会であったと思います。今後も「歌こそ我が人生」の心意気で続けていって欲しいものです。

ホタルのひとよ

カテゴリー: ホタル

甲府の方から電話があって「ホタルを見たい」とおっしゃる。わざわざ長坂まで来なくとも(韮崎あたりで)見られるはずなんですが、情報を持っていなければ仕方がない。また、ホタルエリアから情報UPがなされていなければ見つからない。長坂は山梨県内に沢山あるホタルエリアの一つに過ぎないのですが、たまたま私が長坂ホタル情報をUPしているので、検索にひっかかり、遠路(?)はるばる見に来られたというワケです。う〜む、やっぱり情報はUPしておくべきものだなあとあらためて実感。ここのところサボリ気味だったので反省。
で、本日は19:30から21:30まで2時間のホタルタイムをたっぷり楽しみました。このくらいじっくり見ると個々のホタルの人生(?)から、種としてのホタルの運命まで観賞と推察が行き届く。といっても勝手な推論をお互いしゃべくりあっているだけなんですけどね。これが楽しいんです。
最初にでかけたのはヒミツの河川。1時間誰とも出会わず、車も来ない。ゲンジを見ながら散策を楽しんだ後、岸壁にすわって持参のティーとクッキーでお茶たいむ。静かなひと時だった。背中に広がる田圃からカエルの声が。これがまたいい。後半はいつものホタル公園へ。ここは家族連れやカップルが三々五々出入りしてそこそこ賑やかだ。常に人がいるので女性一人で見に来られても安心安全。両方をケースバイケースで使い分けると良い。ここでも石垣に座って1時間たっぷりすごす。ホタル観賞の技と心得(なんて大げさなものではありませんが^_^;)を前半で伝授してあるので、ここでは各自じっくりホタルの動きと光を追っている。自分で物語を作りながら見ていると飽きない。群れて叢に停まっている時は星座に見立ててあそぶ。スバルも北斗七星も出現する。ときおり川面の一部が円くボワっと明るくなる。これは、川面すれすれに飛翔するホタルの明りが川面に反射しているのです。水草が川面に覆いかぶさるように生茂っている場所はホタルの隠れ家のようでいて、実は危険地帯。クモが巣を張ってエモノを待ち伏せしているのです。案の定、低空飛行中の一匹のホタルが空中で急停車したかと思うとその場所でゆらゆら揺れだした。クモの巣に捕まったのだ。可哀相だが仕方がない。クモだって何かを食べなくちゃ。ホタルは空中に飛び出してから1週間ほどの寿命だというが、そんな短い命でさえ全うできないで捕食されてしまうホタルもいるのです。アーメン。
今晩はホタル同士の会話「フラッシュ発光」も確認できて、大満足の2時間となりました。

富士 VS 月見草

カテゴリー:

「富士には月見草がよく似合う」と書いたのは太宰治。「長島がひまわりならオレは月見草」と呟いたのは野村(現監督)。言葉としては野村監督の呟いた文句の方が心に響くし、言いたいことも伝わってくる。私は堕罪の、あ、「だざい」を変換して「堕罪」と出ることを初めて知った!。ま、それはともかく、太宰の名(?)文句が一体どうしてこんなに世に広まったのか全く見当がつかなかった。「富士に月見草が似合ったからといって、それがどうしたの? マツムシソウじゃいけないの?」と疑問だった。世の人は皆、本当にこの文句に納得しているのだろうか、と長年疑問だったが、本日晴れました♪

山梨日々新聞社刊「歴史と自然 甲州の峠」という本。借り物だがナカナカやりますなぁこの本。全編詩的かつ知的な興奮を与えてくれる。「山と本」好きの万人に読んでいただきたい名著だ。平成6年に発行されたのに既に絶版というのがイタイ。山梨日々新聞社も宣伝がヘタだなあ。こういう名著は即刻復刻すべし。

で、本題に戻る。その本から引用します。太宰は昭和13年9月から約80日間、御坂峠の天下茶屋に滞在した。件の名文句はその時の体験がもとになっているが、太宰がその当時どんな状況にあったかというと
昭和10年 3月鎌倉山にて自殺を企て失敗 4月腹膜炎で入院 8月芥川賞候補に挙げられるも次点
昭和11年 2月パピナール中毒症で入退院を繰り返す。 7月芥川賞候補、再び落選。
昭和12年 3月妻と水上温泉に行き自殺を企て未遂。帰郷後離婚
まるで死神と同居しているかのような太宰の姿が浮かび上がってくる。かさむ借金。そうした一切のこれまでの生活に絶縁するのが、この旅の目的だった。すすめたのは井伏鱒二だ。

河口湖町から天下茶屋に帰る途中のバスの車内の出来事である。
「60歳くらいの、私の母とよく似た老婆」がぼんやりとひとこと「おや、月見草」そう言って、細い指でもって、路傍の一ヵ所を指差した。さっとバスは通りすぎてゆき、私の目には、いまちらっとひとめ見た月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。3778メートルの富士の山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんというのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には 月見草がよく似合う。
有名な富嶽百景の場面である。
これを著者はこう解説している。

車掌が「富士が見える」というので車内がざわめいた。しかしその母に似た老婆が、富士と反対側の車窓をながめてふと「おや、月見草」と呟いたのである。天下茶屋に滞在していた頃、太宰はきっと巨大なものと対決していたのだろう。それは世間でもあり、彼自身を含む一切のものであったかもしれない。「母に似た老婆」は「おや、月見草」と呟いてくれたのである。富士とけなげに対峙していた月見草を認めてくれたのである。

ふ〜む、なるほど。「富嶽百景」は高校生の頃読んだ記憶があるが、そこまでは読みきれなかった。巨大な富士と対峙する月見草を「得体の知れない何か巨大なもの」と対峙しなければいけない自分と重ね合わせたのですね。「すくっと」立っていれば認めてくれる人も現われる、そのことに太宰は気がついたのでしょう。自分もあの月見草のようにならなければ、と誓った瞬間だったと思います。それが分かると「富士には月見草がよく似合う」という名文句が大変力強く意味深いものとして腑に落ちます。

長年頭の隅にあった疑問が、このように本を読んでいてポロリとウロコが落ちるように氷解していく瞬間というのは大変嬉しいものです。著者の和泉定廣さんに感謝。
私は太宰ほど深刻で巨大なものを抱えていないが、今度富士登山をするにあたって、自分と富士を対峙させ、「すくっと」歩けるか挑戦してみよう。

富士講

カテゴリー: ウオーキング

八ヶ岳歩こう会10周年記念行事の一つとして去年から3回シリーズで富士山を麓から登っておりますが、いよいよ来月(7月14〜15)1泊で山頂を目指します。皆さんも如何ですか?一緒に登りましょう。大歓迎いたしますよ。
手許の「江戸人が登った100名山」によると、文化13年(1816年)頃の富士登山者数は「吉田口より登る者1年8000人」とあります。富士に登る講社は俗に江戸八百八講と言われるくらい隆盛で、度々幕府によって禁止令がだされたほど。一度は富士に登らなければ江戸っ子ではないとさえいわれたそうです。蟻の熊野詣は知っていましたが、江戸っ子の富士詣とはシリマセンでした。高いところが好きだったんですね。
私も20代の頃1度登っていますが、若さにまかせたガムシャラ登りで、何人抜いたかを自慢するアホ登山でした。今度はゆっくり歩いて富士山そのものを楽しみたいと思います。
山頂では「虎岩」の確認をしてみたいと思っています。平安時代の書物にこの虎岩のことが載っているそうで、その頃既に山頂に登った者がいたと考えられています。彼もやっぱり「そこに山があったから」登ったのだろうか? いろいろ考えると楽しいですねぇ♪

グランフォンド八ヶ岳

カテゴリー: サイクリング

「グランフォンド八ヶ岳」という名称のサイクリングイベントが行われます。
期日は2009年10月4日(日)
会場は山梨県北杜市 サンメドウズスキー場
コースはメインの100km・グルメフォンド40km・キッズライドの3部門です。
グランフォンドとはイタリア語でポタリング、すなはち自転車で散歩しましょうという意味で、「レースでない大会」とお考え下さい。ビギナー大歓迎の楽しい大会で、信号も交通法規も守って、楽しく走ります。ただ100kmは今回ちょっとハードです。延べ標高差2000くらいあるのではないでしょうか・・(~_~;) 高原の爽やかな空気と展望・森と田園の風景の中をいい汗かいて走れます。
日本各地で「グランフォンド○○」というサイクリングイベントが行われていますが、各地とも大盛況で数千人集まるところもあります。八ヶ岳では初めて行われますが、東京から便利ということを考えるとかなり大規模な大会になるのではないかと思われます。
間もなく募集開始です。ご期待ください。
サイクリストの宿としては、参加者熱烈歓迎也。