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【庭に来る鳥】 雀は追い払うものだった?

シートン動物記に、ニューヨーク五番街のど真ん中で派手にけんかを繰り広げる雀たちの物語(「街の小さな吟遊詩人」)という一編があるそうだ。もう一つ、床屋の主人のちょっとしたイタズラ心から、カナリアの巣で育てられた雀が自分はカナリアだと思い込み、自然の中や都会の喧噪の中で七転八倒しながら成長していき、結婚もするのだが、やがて再び床屋に帰ってくるというすずめの物語(「すずめのランディー」)もあるということだ。まだ読んでいないがとっても興味深いなあ。
なぜ、興味深いかといえば、そのストーリーから、日本だけでなくアメリカでも、雀は人間の身近で生活をしていく生物だということが分かりそうだからです。
私はてっきり、稲作文化の広がった日本と東南アジアだけが、雀との特別な生活史を営んでいるのだと思っていた。どうやらそうではないらしい。考えてみれば欧米では麦を作っていたのでした(^^;) 人と雀は多分全世界的に生息環境の近い生きものであるようです。そういえば、海外でテラスなどで食事をしていると、テーブル下あたりに小鳥が遊びに来ることがありますね。レストランによっては小鳥たちにエサをやることを禁じているが、おじいさんなどがわざとパンクズを落としている場面をみたような気がする。あれは雀だったのか。よく覚えていないが、海外の小鳥達はあまり人間を恐れていない様子だった。欧米人は日本人ほど「雀を追い払う」行為をしないのか??

その点、日本の雀などは昔から案山子や呼子などに追い払われ、場合によってはおばあさんに舌などを切られてしまい(^^)、或いは、庭先に落ちている米粒をついばんでいると上からザルをかぶせられたりして危険であるので、決して人のそばに寄らない。そのくせ人家の茅葺屋根の中やら、屋根瓦の隙間に巣をつくったりするなどして、なかなかに人と雀の距離感はややこしいのです。

雀の命はせいぜい2年だと考えられています。親の経験が子にも伝わるとすれば、「どこが危険でどこが安全か」という経験則は遺伝子に組み込まれて、2年で次世代に伝わる。「テラス席は比較的安全にエサにありつける」、という情報は案外はやくから欧米のスズメ達には広まっていたのかもしれない。日本でもバーダーが増えてきたので、テラス席と小鳥たちの関係は既に「昔の稲作農家とスズメ達の関係」からかなり改善(?)されているのかもしれない。

はやく我が家の餌台も安全だと界隈のスズメも諸君達に伝わってほしいものだなあ。「公園の鳩と人との関係」くらいの距離感で遊べるようになる、を今年の目標とするかな。

ところで我が家の雀たちとひよどり君の関係はだいぶ良好になってきて、ときには一緒にエサをついばんでいます。写真は仲良く餌台で食事を楽しんでいる時に、向こうの方で何か音がしたらしく、一斉に「何事か!?」と顔をあげた所です。かわいいね♪IMG_4946-400.jpg
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実録 免許更新の為の「高齢者講習会」

私の運転免許は今年の3月が更新だというのに、昨年の10月初旬には、はやばやと「高齢者講習通知書」というのが届いていた。高齢になるとまず近くの自動車教習所で講習を受け、その後警察署で免許を交付してもらうという二段階になるらしい。面倒なことだ。ま、しかし70歳を迎えるに当たっての通過儀礼だと割り切り、しぶしぶ本日参加してきた。結論から書くと「いや~面白い!、たまにはこういうものもいいものだ♪」という感想でした(^^)/。

昨日の夕方、予約しておいた教習所から確認の電話があった。「明日8:50までには来てくださいね」というやさしい女性の声。9:00が講習開始時刻だ。相手は高齢者ばかりなので、忘れている方も多かろうという配慮なのですね。有り難いが、わざわざ電話をするなんて仕事とは言え大変だなあ。20分前の8:40に着くように車で行くと、教習所の入り口付近にスタッフの女性が立っていて、ここからあちらに進んでください、というようなジェスチャーで誘導してくれた。指示通り行くと、今度は男性スタッフが立っていて、ここに駐車して下さい、と誘導してくれた。やけに親切だなあ。たかだか2時間の講習にもう既に二人のスタッフを使っている。
お礼を言って下車し、会場の方へ歩き出したら、そのスタッフ2名も同じ方向へ歩き始めたではありませんか。「え?私が最後ですか」と聞いたら、そうだとおっしゃる。「いや~遅くなってすみません」と言うと、「いえいえ、まだ十分時間はありますから」と言って笑ったので「そうかぁ、年寄りははやいからね~、早すぎて困るでしょ」と私がいうと、「ええ」と言いかけて「え、いえいえ、皆さんお元気で、助かります」と謎の言葉を発し、にこにこ笑う。ハハ、ま、なんでもいいや、朝から丁寧でにこやかなスタッフに迎えられて気持ちが良いなあ、と感じたのです。

教室に入ると、そのスタッフも入ってきて、何やら書類を配ったり、何かの確認などをはじめた。そうか、単なる誘導員かと思ったら、本日の教官のお二人だったのだ。あれもこれも大変だなあとますます思ったら、実はこれには意味がありました。
緊張している私達を相手にまずは雑談から始めるベテラン教官。その雑談で、全てが分かったのです。

「本日はありがとうございます。まだ正月気分のところ、申し訳ないですが、2時間下さい。なるべくはやく終わりましょうね(笑)。今日は皆さん、お車で来られました、あ、当たり前ですかね(笑) 最新のクラウンで颯爽と来られた方、32年前のお車を大事そうに乗って来られた方、赤いフォルクスワーゲンの方は左ハンドルで、あの狭い道大丈夫だったでしょうか」などなど、、要するに誘導と見せかけて、今日の受講者達の車ライフなどをそれとなく推測し、車庫入れテクニックなどの技量も見極め、ちょっとした会話などからその人の人となりをなんとなく把握して、講習に役立て用というのであった。お見事です。

「今日はもうすぐ70になる69歳の方から83歳までいらっしゃいます。初めて高齢者講習を受けられる方から、3回以上だという方までいらっしゃいますが、法令も年中変わっていますし、お伝えする内容も変わってきていますので、皆さん全員の方が初めて聞くという気持ちで講習に臨んで下さいね。もっとも前のことなんて覚えてらっしゃらないでしょうが(全員大笑)。
私の経験の中で96歳という受講者がおられました。その方は肺気腫を患ったとかで、鼻にチューブを入れて酸素ボンベをご自分で担いで、一人で来られました。こりゃ大変な方が来ちゃったなあと思ったのですが、カクシャクとしておられ、今日これから皆さんにも実際に運転をしてもらいますが、運転は確かで、動体視力などの検査もパスされて、お見事でした。人は年齢や見かけで判断してはいけないなあと改めて思いました。 その方に比べれば今日の皆さんはまだまだお若いですが、私は人を見かけで判断しませんのでヨロシクお願いします(笑)」などなど、
なかなかの話術で、いつの間にか講習がはじまり、あっというまに休憩時間。

その後様々な視力検査があり、教習所のコースの実地運転となるのです。それらがまた為になり、楽しかったのですが、話が長くなるので、それはまた明日のココロにしましょう。

もし私にまだ免許をとっていない子供や知人がいて、教習所を探していたら、間違いなくここを推薦するだろう。と、高齢受講者にも思わせるように努力をしているのだろうなあ。実際の教官達と今日の教官の差違は不明なのに。とりあえず、「受講者もお客様」と考えて取り組んでおられるのが良く伝わって、心地よく受講できたのでした♪。

■台風15号について様々なことを思う。

【東京湾台風 15号】
   まずは台風15号で被災された方々にお見舞い申し上げます。国、東電、
   自治体、さらにはメディアまで出遅れた対応で、もはや人災かと思われ
   る災害に見舞われた方々の不安は増すばかりだろうと思われます。
   電気が回復していない状況では、様々に推奨されているネット上の応援
   サイトも意味をなしてるのかどうか分かりません。心配です。

   被害を受けなかった私達が出来る事の一つに「支援金」を届けるという
   ものがあります。千葉は私の祖父母の故郷であり、母の実家であり、娘
   が学生の頃4年間過ごした地であるなど、思い入れの強い場所です。
   「ふるさとチョイス」から検索しました。当然返礼品はありません。
   純粋に寄付として扱われ、お目当ての自治体に確実に届きます。
   ふるさとチョイスから「令和元年台風15号」のページにお進み下さい。

   つい最近気象予報士の森田さんが「台風に名前をつけよう」と提案され
   ていました。私は良いことだと思いました。
    伊勢湾台風、室戸台風、狩野川台風など、年配者にはその名を聞くと、
   様々な事柄を思い出す名前の台風があります。しかし「2018年の台風
   21号」と聞いてピンと来る方、いらっしゃいますか?これは関西国際
   空港との連絡橋に風に流されたタンカーが衝突し、関空閉鎖という異
   常事態になった台風です。この台風も「関空台風」と呼んだほうが、
   いつまでも世の人々の記憶に残り防災上のメリットがあるでしょう。
   と言う森田さんの呼びかけはその通りだと思います。

   「自助、共助、公助」といいますが、今回は公助がまるであてになら
   ないということが明白になりました。共助も「近助」と考えた方が良い
   という防災学会の方もいます。日頃から顔の見える近所づきあいが大切
   だということから「近助」という発想になりました。もっともですね。
   これからは「自助、近助、共助」です。
   また、「共助」を医療、年金、介護保険、社会保険制度などの制度と捉
   える自治体もあります。「公助」は保険制度などではカバーできない「
   最終的に必要な生活保障を行う社会福祉制度のこと」として、「自助・
   近助・共助」で支え合っていても、どうしても解決が出来ない課題に、
   最終的に「公助」が対応します」という考え方の自治体まで出現しま
   した。つまり、「公助」はしぶしぶ最終的に出す切り札のような捉え方
   だと言うのです。この自治体の名誉のためにあえて名前は出しませんが
   もうこの国は全てに渡って「自己責任」を負わされているようです。
   国は千葉県に対して(しぶしぶ)激甚災害指定を出すのでしょうか。
   
   さて、我が山梨県はどうか。北杜市はどうか・・・。
   北杜市の皆様の避難所マップをUPしておきます。
   皆様、自分の身は自分で守るよう、常に備えるクセをつけましょう。

敗戦記念日

■玉音を 理解せし者 前に出よ (白泉)

『作者の怒りは真っすぐに直属の上官達に向けられている。全ての下士官がそうではなかったにせよ、彼らの目に余る横暴ぶりはつとに伝えられているところだ。何かにつけて、横列に整列させては「前に出よ」である。
 軍隊ばかりではなく、子供の学校でもこれを班長とやらがやっていた。前に出た者は殴られる。誰も出ないと、全員同罪でみなが殴られる。特攻志願も「前に出よ」だったと聞く。殴られはしないが、死なねばならぬ。いずれにしても、天皇陛下の名においての「前へ出よ」なのであった。
 作者はそんな上官に向けて、天皇の威光を散々ふりかざしてきたお前らよ、ならば玉音放送も理解できたはずだろう。だったら今度は即刻お前らこそ「前に出よ」「出て説明してみやがれ」と啖呵を切っているのだ。
 句は、怒りにぶるぶると震えている。(清水哲男)』
   
 私の父は当時船舶設計技師だったので戦地には赴かず、軍艦の設計ばかりしていた。恐らくそのことを同胞、特に戦死していった友人達に負い目を感じて、あまり戦争のことを話したがらなかったのだろうと今では思う。
 父が書いた簡単な自分史というものが手元にある。それによると「私は終戦という言葉が嫌いだ、敗戦と言って貰いたい。終戦とは為政者が自分達の失敗を糊塗する為に使った曖昧な言葉である」とあるが、これは8月15日が来ると毎年テレビに向かって怒って吐いていた言葉でもある。
 「玉音を聞いて茫然自失し、しばらくは魂の抜け殻の様になり、仕事も何も出来なかった。もっとも、成すべき仕事もほとんどなかったのである」と心境を書いている。しかし生きるために成すべきことは山積みだった。翌日には疎開している妻を栃木まで迎えに行っている。
 「切符が途中駅までしか手に入らなかったので、そこから約3里の道を歩いて向かった。やがて道は広い田んぼに出てその向こうに低い山並みが連なり、真っ赤な太陽がまさに沈もうとしていた。これが実に一幅の絵のように美しかった。私は強い感慨に打たれた。国破れて山河ありと。」
 その年の夏長男が生まれ、すぐに次男が続き、昭和25年三男の私が生まれて、貧困の中、父母の新たな戦いが始まったのだが、不思議なコトに私の幼少時の記憶は全て幸福感に包まれているものばかりだ。戦争が終わった幸福感が父母を満たしていたのだろう。
 戦争がなければ生まれて来るはずだった同時代の子供達の事を思うとき、私達は彼らの分まで生きてきただろうかと少し自省する。正解のない様々な感慨にふける今日である。

中山道を京都まで歩くシリーズのmaking第一弾 下諏訪~塩尻

【中山道ウオーク Making】
今日は下諏訪宿から塩尻宿まで中山道を歩きに出発しましたが、熱中症寸前でした(>_<)
現在進行中の「甲州街道ウオーク」が後2回で無事終了予定です。甲州街道のゴールは「下諏訪宿」ですので、その後、引き続き中山道を歩いて、京都まで行ってみよう、という無謀な魂胆です。かなり壮大な計画なので、本当に可能かどうか、今日は下見の下見の下見のつもりで出かけてみました。
まずは諏訪大社秋宮に無事初志貫徹ができますようにとお参り。拝殿の奥の神聖なエリアに本殿(宝殿)が二つ鎮座ましますが、今は向かって左の宝殿に御祭神は遷座されております。令和4年の御柱祭で入れ替わります。ので、左の宝殿に向かって中山道シリーズが無事に開催されますよう祈念してまいりました。
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せっかく諏訪に来たので、市内をウロウロしていたら、『1000年以上昔の諏訪に「かね」さんという心優しい娘がいましたが、(省略)、京にあがって「和泉式部」となった』という伝説を発見。写真は京にあがった「かね」さんが、必死に勉強しているところです。
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諏訪地方で唯一の古墳というのにも遭遇。石室がむき出しでした。かなり大きなものでしたが、なんとなく登り窯っぽい雰囲気。登り窯って石室がヒントになったのか?なんてことを思う。
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その他、あちこち調子にのって見学、拝観してしまい、予定の時間をとっくにすぎて塩尻峠の下まで到着。いや~暑い。で、塩尻峠の坂のきついこときついこと。
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これ、歩こう会のみんな歩けるかなあ・・。と早くも中山道踏破計画に暗雲が立ちこめました・・・。
今日の暑さが原因かも。予定より長く歩いたのが原因か。ともかくよく汗がでる。水分補強がかかせません。なにより峠道がきつい。まぁ本番は11月だからなんとかなるか、等等、あれこれ考えながらの道中は、予定より大幅に遅れ、雷がゴロゴロ鳴り出したのもあって、塩尻までは行けませんでした。塩尻宿の直前で「中央線青柳駅」まで1kmという看板があったので、今日はそこまで。う~むむ、これは皆の意見を聞かなくちゃなあ・・・。バスを使うかなあ・・・。あの峠・・・。
という訳でMaking第一弾。この後どうなるか、ご期待下さい (^^;)



白内障手術準備その1

昨年、今年の5月と6月の2回に分けて白内障手術をする予約をした。白内障手術は大人気(?)で日本中どこでも6ヶ月待ちは当たり前らしい。で、今日はその為の第1回簡単検査と次の検査日の決定の為に午前中から病院へ。
視力表の一番上のCのような記号、これは専門的にはランドルト環というそうです。○の上下左右のどこかが切れているので、それをあてるのですね。私はすっかり英語のCという文字かと思っていました。
きょうは、私はその一番上の大きなランドルト環の切れている方向が分かりませんでした。かなりあせりました。「大体でいいいですから言ってみてください」と看護師さんがいうので「左下」と言ったら、「斜めはありません」と言われてしまった(^^;) 後でよく見たら一番上の列だけ斜めはないのですね。へ~。

ま、その後いろいろあるのですが、終わって病院の外に出て、景色を見たら、普段と変わらない。スマホで撮った映像ですが、この程度には目で見えている
遠くの景色-1
といっても、目が悪いのに慣れてしまっているので、他の人にはもっとクリアに見えているのだろう

目の良かった子供の頃、あの視力表の一番上の文字が分からないなんて、いったいどうなっちゃうんだろう。かなりのお祖父ちゃんか、かなりの重病人だ、と信じていた。生活なんて絶対無理だ、だって例えばあの距離にあるあの文字と同じ大きさのもの、例えばリンゴや夏みかんは見えないんでしょ。ひゃ~、そうなりたくないなあ。
と本気だった。なので、今日、視力表の一番上のあの大きな文字が分からなかった時は少々、というかホンキで焦ったのです。

しかし、今日、病院の外に出て、まるでそんな事はないと分かったのです、おめでとうございます。ランドルト環はその切れた方向が見えるか見えないか、を調べるものなので、あの距離にあるものがリンゴか夏みかんか、くらいは100%分かるのでした。
ただ、そのリンゴや夏みかんに少し目立つ虫食いの穴が開いていたとしたら、それがどっちを向いているかは、見えないかもしれませんね。
要するにその程度で、人生にはほとんど影響はありません。きれいな景色はいつまでもキレイです。
白内障なんてそんなモノ。若者よ、安心したまえ。

ただ私が分からないのは、視力が悪くてランドルト環が見えない場合は、眼鏡で矯正できる。
白内障で見えない場合は、眼鏡では矯正出来ない、というのがどうしても分からない
白内障に眼鏡は作れない、というのを昨年知ったのです。手術しかないのだというのです。

もっとも、手術をする必要が全員にあるかと言えば、そうでもない。このまま徐々に悪化していっても、多分そのスピードと私の寿命はいい勝負なので、ほおっておいてもかまわない。

上の写真がほぼ肉眼でもその通りに見えているのでいいじゃないかと自分でも思うのですが、まぁ、まだ体力のある内に手術は済ませておこうか、という軽い気持ちなのですね。だって、万一90歳を過ぎて元気で生きていて、白内障だけグッと進んでしまっていたら、もう手術できる体力はないのじゃないだろうか?

次に行くときは(4月と決定)、心電図、血圧、レントゲン、などなどの健康診断的チェックをするのだとおっしゃる。ネ、こりゃ、健康じゃなきゃ手術できないということですよ。思わず書いた「健康じゃなきゃ、手術もできない」というのは冗談のようで、本当のことですね。どんな手術も一定の健康状態がないと無理なのだろうと思うと、なんとなく身が引き締まります。といっても何も対策は練りませんが。