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教師のうつ病 やっぱり・・・

ネットニュースで見かけた記事をコピペしよう。
「やっぱり」としかいいようがない。
赤字は私がつけたものだが、ここが問題なのだ。
文科省は原因として「多忙な労働環境」をあげているが、それは皆が知っている当然のこと。
しかし特殊学級の場合は、「多忙な労働環境」の上に、さらに複雑な問題が上積みされる。
先日の日記に書いた通りだ。
専門知識のない一般の教師が特殊学級を任されている(押し付けられている)状況を打開しないことには解決策がない。
「復職支援」などで問題は解決しない。特殊学級を見る教師の位置づけを明確に規定しないと永遠に「高止まり」である。
--------以下コピペ----
<文科省調査>精神疾患で休職教員5009人 15年度
毎日新聞 12/22(木) 17:01配信

 2015年度にうつ病などの精神疾患で休職した公立学校の教員が5009人に上ることが、文部科学省の調査で分かった。全教員の0.54%で、14年度に比べ36人減ったものの、07年度以降5000人前後で高止まりが続いている。

 調査結果によると、病気休職者は7954人で、このうち6割強を精神疾患が占める。在職者に占める精神疾患の教員の割合を学校別にみると、障害がある児童・生徒が通う特別支援学校が0.66%(560人)で最も多く、中学校0.64%(1524人)▽小学校0.55%(2237人)▽高校0.37%(683人)▽中等教育学校0.30%(5人)。男女別では男性0.51%、女性0.57%だった。

 文科省は高止まりの要因に「多忙な労働環境」を挙げる。経済協力開発機構(OECD)が13年に実施した調査で、日本の中学教員の勤務時間は週53.9時間。対象となった34カ国・地域の平均の週38.3時間を大きく上回っている。授業の準備や教材研究に加え、いじめや不登校の対応、部活動などの課外指導も担い、心身ともに疲弊する教員が増えている。

 復職支援プログラムを設けるなどの対策を始めた学校や自治体もあるが、休職者数に大きな変化は表れていない。文科省は、部活動の実態調査を始めるなど長時間勤務の改善に取り組んでおり「教員の負担を軽減し、精神疾患による休職を減らしたい」としている。

 一方、15年度に強制わいせつや買春、セクハラなどのわいせつ行為で懲戒処分や訓告などを受けた教員は、224人(前年度比19人増)で、過去最多となった。被害者は「自校の児童・生徒」が最も多く、40.7%を占めた。文科省は「メールやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で教員と児童・生徒が直接やり取りをすることがきっかけとなっているようだ」と分析している。【伊澤拓也】
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特別支援学級の話し。

今日はちょっとマジメ。長文です。
仲間と毎月1回発行しているメールマガジンに書いた記事を転載します。

【多賀屋の八ヶ岳与生】 
   ~「余生」ではなく「与生」を加齢にあ、華麗に生きる話~ 

 ■今月は「八ヶ岳」とは関係のない話を書きます。
                 小中学校の「特別支援学級」の話です。

    少し前までは「特殊学級」と呼ばれていました。「あすなろ学級」や
   「養護学級」等、学校によって様々に呼ばれている場合がありますが、
   「肢体不自由者」「身体虚弱者」「視覚障害者」「聴覚障碍者」「知的
   障害者」「その他の障碍者」に教育の機会を開き、生活上の困難を克服
   し自立を図る目的であることは同じです。
   小中学校の間は義務教育なので、希望する親はいつでも子を入れること
   が出来ますが、必ずしも全小中学校にその学級が置かれていませんので、
   その場合は学区を超えて通学することも可能です。

    1890年に長野で、1901年に群馬で、1905年に大阪で次々に特殊学級が
   「実験的に」設置されるなど、その歴史は古いです。1926年、東京に「吃
   音学級」が設置され最初の言語障害特殊学級となりました。
   その後「身体虚弱特殊学級」「弱視特殊学級」「難聴特殊学級」「肢体不
   自由児対象の養護学級」などが主に東京の学校で順次設置され、ようやく
   1947年「学校教育法」制定により、特殊学級の位置づけが法的に明確とな
   りました。(2006年「学校教育法」の改正により「特殊学級」が「特別支
   援学級」と呼称が変りました)

    ここまでは単なる「特殊学級から特別支援学級への変遷の歴史」です。
   今日書きたかったのは学級を任される「教員」の資格の問題です。
   変遷の歴史を一読すれば、一口に「そこに通う生徒」といっても「目の悪
   い人」「耳の聞こえない人」「肢体が不自由な人」「吃音の人」「知的障
   害の人」などなど様々だということが分かります。
   その学級を担当する教員はかなりの専門家か、教育をうけてなんらかの免
   状か資格を取得した方々でないと勤まらないはずと、私は思っていました。
    しかし現状では「教員免許」を持っていれば誰でもが任されてしまうの
   です。逆に、「教員免許」を持っていないと「特別支援学級」で教えるこ
   とはできないことになっているのです。このことは「普通の教員が特別支
   援学級に人事異動された場合、生徒に専門的指導ができない」という側面
   と「専門的指導が可能な人物でも教員免許を持っていないと指導ができな
   い」という側面の、両面からの弊害となって表れてきています。

    「教育職員免許法」というものがあり、「特別支援学校教員は特別支援
   学校の教員の免許状を有していなければならない」となってはいますが、
   同法附則の16で「当分の間は特別支援学校の免許状がなくても特別支援学
   校の教員となることが出来る」となっており、事実上の骨抜き法とされて
   いることが大問題です。
    専門の教員不足等の問題もあるのかと思われますが、それならば「教員
   免許がなくても有資格と認定された専門家は特別支援学級の教員となるこ
   とが出来る」と附則に付け足しては如何だろうかと思うのです。
    例えばある症状の生徒には言語聴覚士の援助が必要だとします、しかし
   現在のところ「何も特別知識のない一般教員」が対応にあたっています。
   一方、言語聴覚士などの多くは教員免許をもっていません。従ってそれら
   の知識や技術は特別支援学級では発揮できません(彼らは主に病院などで
   働きます)。教員免許と他の専門資格の両方を取得することは、時間的に
   も金銭的にも相当な負担を伴います。両方の資格を持つことは現実的では
   ありません。現状では多くの特殊な事情を抱えた子供たちが、なんらの専
   門知識を持たない普通の大人に預けられている、といった状況にあると最
   近知った私は驚きました。それでいいのだろうか?

    また、教員たちにとって、特別支援学級に人事異動されるということは
   多くの場合想定外で、現実には「左遷」と捉えられているケースも少なく
   ないようです。そんなケースでは教員自身がやる気をなくし、生徒たちを
   「適当に」見る、といった状況が発生する危険も孕みます。
   一方で「特別支援学級」こそ働き甲斐のある場所だと、意欲に燃えた教員
   も多くいるはずです。そんな教員には有効な資格や免状を取るための勉強
   期間として1年~2年程度の有休制度を設けたらどうかと思うのです。
    先ほど「附則に付け足しては」と書きましたが、実際にはそんな姑息な
   手段ではなく、特別支援学級の教員資格については抜本的な改正をしてい
   ただきたいと私は願うのです。
   そうでなければそこに預けた親もそこに通う生徒も「困難を克服し自立を
   図る」ことなど思いもよりません。

    こんなことを急に書いたのも、今春、娘が言語聴覚士と教員免許を持っ
   て、ある学校の特殊学級で仕事をすることになり、そこでの様々な矛盾と
   問題点をなんども聞かされ、現実を知ってしまったからなのです。
   幸い私には「子供の教育の実践家」で「子供の教育」を自らの主張のメイ
   ンテーマとして論陣を張り、今年の参議院選挙で国会議員に当選した友人
   がいます。その国会議員に話をぶつけに行こうと考えていますが、その前
   にまずここで読者の皆さんがどのように思われたか知りたく、このMMの
   趣旨とはまるで違うことを承知で書いてみたのです。申し訳ありません。
   何か思うところがあればメールをくだされば有難いです。
                          (文責 S・多賀)

   ※多賀さんの記事に、長年障害児教育に携わっていたスタッフの1人から
    感想が寄せられました。以下に編集長の一存で掲載させていただきます。

   多賀さんへ
    感想はここに書ききれないくらいあります!

    私が教員採用試験に受かって、東京で面接を受けたときのこと。
    普通学級・障害児学級・養護学級の3つから希望を聞かれました。
    もちろん普通学級の免許しか持っていません。

    そのときの面接官のことばを良く覚えています。
    「障害児学級で3年我慢したら普通学級の教員にしてあげます」
    教育に携わる人の感覚がこれか~!と衝撃でした。

    「どこでもいいです」というと障害児学級に配属されました。
    その後25年学校は変わりましたがずっと障害児学級。
    子どもたちとけっこう、うまがあって(?)楽しかったのですが、
    教育行政や学校という組織や体制にはずっと疑問がありました。
    お嬢さんの気持ち、よくわかります。(わかるような気がします)

運動会になぜ徒競走がないか。

この時期、小中学校は運動会の花盛りのようですね。聞くところによると、もうだいぶ前から運動会では「50m競争」など順位がつくプログラムを組まない学校が増えているらしいですね。理由は「児童にムダな競争をさせない」「順位をつけることによって差別やイジメなどが起こりやすくなる」などなどその他もっともらしい理由を沢山聞いたことがあります。
が、今年から小学校の教諭になった娘から、それはまるで違う理由からではなかったかと思わせる話を聞いた。
娘の学校ではまだ徒競走をやっている(私はそれはいいことだと思う)。先生の中から「写真班」というのが作られ、ゴールで写真を撮るという仕事があるのだそうだ。「記念」のためではなく「判定」のためにだそうだ!!しかしこれがなかなか難しい。正面から撮ったのでは微妙な差が判定できない。かといってゴールラインの横から撮っても、人物が重なって判定不能な写真となることも多い。どうするのがいいのかは娘から聞かなかったが、ともかく真剣に写真班は仕事をしなければならない。何故そんなことをするかというと、着順にPTAがウルサイからだという(-"-) 中には着順だけでなく、「コース取り」にまで文句をつける親もいるらしい。「ウチの子が一番外側なんて絶対おかしい、一体どういう基準でウチの子を外側にしたのか教えなさい。もっと普段からウチの子を見ていれば真ん中のコースがふさわしいと分かったはずです!」などなどとイチャモンを付ける親が必ずいるのだそうだ。まして着順を誤って判定された親は黙っていない。そこで写真判定にもつれ込むのだそうだが・・・。一体どういう親の育ち方をしたのだろうか(*_*; 運動会は着順が大切なのでなく、各自が持っている力を出して何かに挑戦する、その一生懸命さを称える場であるはず。おそらく娘の働く学校は校長先生が毅然としてそのことを親に伝えようとしているから徒競走を続けているのだろう。しかし、親のクレームを極力避けようとする学校は徒競走を運動会から外すことになるでしょう。
そういったいきさつから、最近の運動会には徒競走がないという流れになったやもしれぬ、という視点を、娘の話から得た次第。
実際は知らぬが、学校に勤めるということは、生徒と仲間の教師と、PTAを相手にしなければならず大変なことだ。

歯医者徘徊

本日友人から「子供を歯医者に連れて行って」という依頼があった。その子は小学生。親は仕事中。詳しいことは聞かなかったが、突然の歯痛で学校から連絡があったが親は仕事中で迎えに行けない、といった状況のようだった。お安いご用、と請け負い、いろいろやりとりをした後、放課後16:30に学校へ。心配その1は、学校の前でその子を待ち構える私は間違いなくヘンなオジサン^_^; 物騒なこの世の中、果たして先生は私を認めてくれるだろうか? だって私は先生にもその子にも初対面((+_+))
車内で待っていた私は、校門に先生とその子らしき人影が見えたので、ドアを開けていこうとすると、先生からこっちを認め近づいてきた。親はちゃんと私の車と私の特徴を先生に伝えていたのだった。私も可能な限りアヤシクないオジサンの笑顔と立ち居振る舞いをみせつつ(かなりアヤシイ^^;)先生に挨拶した。すんなりOKだが、心配その2、その子はちゃんと私の車に乗ってくれるだろうか、と思いきや、なんの問題もなくスルスルと自ら近づいてきて自らドアをあけ、さっさと後部座席に乗った。なあんだ、なんの心配もなかった。
先生に挨拶しつつ車を発射させて予約の歯医者へ。歯医者の予約が大変だった。4:30に下校だから、歯医者はそれ以後。そんな時間には、ほとんどの歯医者がやってないか予約で一杯なのだった。電話では無理と判断した私は一軒の歯医者にあたりをつけて直接おもむき、直談判。最初はシブっていたが、子供が痛がって死にそうですとオーバーに言い、強引にOKを貰った<(_ _)> で、その子を歯医者に送り込むのだが、学校に迎えに行った時点から、その子はちっとも痛がっていなかったのであります!? どうした?と聞くと「給食も食べられたし、なおっちゃったみたい」というじゃありませんか。あせった私はそれでも親の「昨日までなんともなかったのに歯に穴があいちゃったみたい」と言う言葉を信じ、自信を持って(?)先生に、タイヘンです、ナントカしてくださいとその子を渡した。
どうなることやらと待合室で本を読んでいたが、しばらくするとドアがあいて「すみません先生がお呼びです」と看護士が困惑した表情で私に声をかけてきた。オツ、どっちだ? 全然たいしたことなかったのでオコラレルのか? それとも?とオズオズ入っていくと、開口一番「これは深い虫歯です」と言ってきた。あ~よかった^_^;って、その子には悪いが。
「神経に近いところまでいってますので、削るには麻酔が必用です。しかし小学生以下に対する麻酔の使用には親の立ち合いが必用です」というじゃありませんか。へ~そうなんだ。親の同意、ではなくて、親の立ち合い(付き添い)が必用なのだそうですよ、初めてしりました。そりゃまあ、普通我が子を歯医者に連れていけばそんなことは聞かれないが、人の子を歯医者に連れて行くなんて経験はそうないようなあと思いつつ、ハテどうしたものかと思案。
その子は明日卒業式なので、なんとしても明日は行ける様にしていただきたいと言ったら、痛み止めをくれた。現在は何故かいたくないので(先生も不思議がっていたが)、痛くなったらこれを飲めば大丈夫。でもなるべくはやく親といっしぃに歯医者にいきなさい(そこはその子のかかりつけではなく、私の知っている歯医者なので)と言われて完了退散。お騒がせしました。¥900也を支払って、やれやれ、一層大変なことになったなあと思いつつ、そのままその子を親の仕事場まで連れて行った。道中その子と話したらなんと今日が生まれて初めて歯医者に来た日だったということだった。驚きだ。どうりで歯医者に着くまで平然としていたわけだ。フフ、歯医者の怖さを知らないのは幸福だ。が、歯医者と私の会話を聞いた後のその子は一変。車中では「ねえ、神経を取るってどういうこと? 麻酔ってなに? 注射? どこにうつの? 歯茎!ビエ~ッと」と少し神妙になった(^_^)v さて親の職場について委細を伝える。親もびっくりだった。へ~麻酔は親の立ち合いが必用なの~と言って、自分がいつ休めるか頭の中で計算しているようだった。
ま、この後は親と子に任せることとして、私の任務は終了。親はまだ仕事があったようなのでその子を再び車に乗せてその子の家に。いや~両親が仕事を持つ家庭の子育てはたいへんだな、と(私もそうだったが、とっくに卒業してしまって忘れていた)感じた一日でした。がんばれその子とその親。応援してるよ。

雨が止んでしまいそう。

ひさしぶりの穏やかな雨。あわただしい夏休みですが、うまい具合に今日はお客様も少なく、やさしい雨も降ってくれて、心落ち着く一日となりそうです。
昔から日本は雨に恵まれ、そのおかげで四季が美しく循環しているのだと思います。本来日本では梅雨と秋の台風シーズンだけ雨に注意していれば良かったはずでした。梅雨は田植えの季節でもありまさに恵みの雨でした。秋の台風シーズンも二百十日や二百二十日といって特異日がありましたから、比較的備えは楽でした。
しかし最近はゲリラ豪雨というのか、突発的集中的豪雨が所構わず季節構わず発生して、今までにない形や規模の被害をもたらすようになりました。雨を「風情」や「恵み」であると感じることが出来なくなってしまいましたね。

試みに、雨に関する日本語を拾ってみました。まぁなんと表情豊かな言葉ばかり! 日本語の素晴らしさと日本の雨の素敵さが感じられます。
「こぬか雨」「春雨」「菜種梅雨」「虎が雨」「走り梅雨」「卯の花腐し」「五月雨」「夕立」「村雨」「篠つく雨」「喜雨」「秋霖」「時雨」「山茶花時雨」などなどまだまだ沢山見つけることができました。
それに比べて昨今の雨の表現の美しくないこと「ゲリラ豪雨」「集中豪雨」「局地的大雨」そして「経験したことのない大雨」なんていう表現もでてきましたね。これは日本だけの現象ではなく世界中で起きている現象だそうです。そりゃそうですね、大気は繋がっています。排ガス規制に反対中のアメリカと中国が原因だなんて書いているコラムニストもいましたが、文明が引き起こしている現象であることはどうやら間違いがなさそうです。

文明が栄えて文化が衰退する例が雨一つにも垣間見えますね。

花壇の水やりしなくていいから、と言ってかみさんは整骨院にでかけました^_^;

私は雨がやんだら仕事しよッ、とコーヒー飲んでます。

本音トーク その2

2)なんだか燃えない「信玄公祭り」
山梨県内最大のお祭りだという「信玄公祭り」が始まった。武者行列としては日本最大級だといい、人数をギネスに申請しようかと張り切っている。しかし何かが伝わらない。何かが欠けている。何かが不必要、何かに力が入り過ぎている。どう考えてもわざわざ見に行こうという気にならない。不思議なまつりだ。関わっている方々がこの祭りは「本音で楽しくて、必要な祭り」だと考えているのかどうか、そこが知りたい。単なる地域活性、観光客増大のためのイベントだとしても、それにしては県外へのPRは徹底しているのか疑問。経済効果は? ネットであれこれ調べてみても信玄公についての様々なアンケートの回答者は皆「山梨県民」だったのはどうしてだろう?。
神奈川県民だった自分が思うに(きっとひいき目で言うのだが^_^;)「箱根の大名行列」との違いは多分「文化」だろう。大名行列には「文化を伝える何か」がありました。信玄公祭りのどこからも「文化の香り」が伝わってこないのは扱う時代の違いもあるが実行委員の皆様の考え方もあるに違いない。山梨からもっと「文化」を発信したい。富士山の世界遺産登録も「自然遺産」から「文化遺産」をめざすことになった。信玄公祭りも「イベント・観光客誘致」から「文化の後継と発信」へ脱却してみてはどうだろうか。