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2/19〜20
富士吉田市が主催する「現代富士講」モニターツアーに参加してまいりました。
富士吉田市の昔は全国から講を組織して富士登山をする「富士講」の方々が訪れ、夏の間は大変盛ったそうです。特に江戸は八百八町、八百八講というくらいに盛んで、泊まる宿ばかりでなく泊まる部屋まで決まっていたという具合で、町内で争って富士登山にきたということです。講社の泊まる宿の主人は馬方や強力などの手配、登山案内から清め祓いまで一切を取り仕切り「おし(御師)」と呼ばれていました。富士吉田登山口の左右にずらりと御師の家(宿坊)が並んで、富士吉田は活気溢れる町であったそうです。
スバルライン開通によって富士登山が信仰からレジャーと変わり、5合目から下はまったく寂れてしまいました。御師の家も次々に廃業され、現在ではわずか3軒が学生の合宿などを相手に営業を続けているにに過ぎません。
しかし御師の家に入ってみると家具調度から神棚・家のつくり・登山資料などなど、その歴史的価値・資料的価値の見事さに思わず息を呑みます。これらがそのままお蔵入り或いは分散してしまってはもったいないと始められた「富士吉田を見直すツアー」が、この「現代富士講ツアー」だったという訳です。
富士吉田市が主催する「現代富士講」モニターツアーに参加してまいりました。
富士吉田市の昔は全国から講を組織して富士登山をする「富士講」の方々が訪れ、夏の間は大変盛ったそうです。特に江戸は八百八町、八百八講というくらいに盛んで、泊まる宿ばかりでなく泊まる部屋まで決まっていたという具合で、町内で争って富士登山にきたということです。講社の泊まる宿の主人は馬方や強力などの手配、登山案内から清め祓いまで一切を取り仕切り「おし(御師)」と呼ばれていました。富士吉田登山口の左右にずらりと御師の家(宿坊)が並んで、富士吉田は活気溢れる町であったそうです。
スバルライン開通によって富士登山が信仰からレジャーと変わり、5合目から下はまったく寂れてしまいました。御師の家も次々に廃業され、現在ではわずか3軒が学生の合宿などを相手に営業を続けているにに過ぎません。
しかし御師の家に入ってみると家具調度から神棚・家のつくり・登山資料などなど、その歴史的価値・資料的価値の見事さに思わず息を呑みます。これらがそのままお蔵入り或いは分散してしまってはもったいないと始められた「富士吉田を見直すツアー」が、この「現代富士講ツアー」だったという訳です。
Thu 2008 | trackback(0) |
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そりゃそうだ。
