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廃仏毀釈の誤解

先日比叡山延暦寺に行ってきた。その折、麓に日吉大社というのがあって、ついでにお参りしてきたが、これは「ついでに」なんて言ってはモッタイナイので、なんと全国の日吉神社、山王神社、日枝神社の総本宮だったのでした<(_ _)> 2100年前の創祀だそうです。
ここで権禰宜さんから目からウロコ、耳からオヒレ?の話を伺った。ぜひ皆さんにも聞いて頂きたく。
皆様、廃仏毀釈運動というのをご存知ですね。明治になって各地でさかんにお地蔵様の首がはねられたりして、仏教と仏教を象徴する建造物などが排斥された運動です。いくら名実ともに天皇が一番エライことになったと言っても、明治政府はバカなことしたもんだなあと、思っていませんか?私は思っていました。
ところが、事実はやっぱり聞いて見ないと分からない。皆さん、明治政府は決してそんな指示命令を出していないのでした。明治以前の日本は「神仏習合」といって、神も仏も平等でした。神社の境内に五重塔があったりして、さすが八百万の神日本、という状況が全く普通でした。で、明治になり天皇が一番エラクなった時に、政府が出したのは「神仏分離令」でした。ここが肝心です、あくまで「神仏を分離して祀りなさい」という政令で、「仏教を排除すべし」という意味合いは全くありませんでした。ところが、ここ日吉大社は、比叡山延暦寺の親戚のような神社です、昔信長と戦った僧兵がいましたね。そういう「荒っぽい風潮」というものが残っていたのか、境内の五重塔やら仏像やらを破損・廃棄という荒業にでたのです。神社の総本山のようなところがそんなコトをやったものだから、全国の神社系寺院では、一斉に五重塔を焼き払い、仏像を破壊し始めました。この時の破壊のものすごさは、後の学者たちに「もしあの時そんな運動がなかったら、日本の国宝や重要文化財は現在の3倍は残っていただろう」と言わしめたほどです。末端では小僧や庶民までもが地蔵様の首をはねたりする始末でした。政府から調べにくるのではねない訳にはいかなかった事情もありました。
そんな「運動」がここ日吉大社から始まってしまって、今でも本当に申し訳なく思っているのです、と150年前の出来事を我が身の恥じのようにおっしゃる権禰宜さんの言葉は誠実で、「ですので、皆様も是非今日私から聞いた話を、機会あるごとに周囲の方々にお伝えくだされば、大変嬉しいです。是非この件で明治政府が憎まれるという誤解を解いてください」と熱心におっしゃるので、ここに書きました。いや~、ほんとうに思い込みってのはあるもんですねえ。まるっきり誤解してましたから。
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縄文時代の八ヶ岳

長く留守してるとどうしても広告が出て来るね。無料サイトだから仕方ないか。という訳で、今日はコピペですみません、といっても自分が他に書いた記事だから許してね。

今回は「八ヶ岳の縄文時代と神話考」
  ~記紀に描かれた「黄泉の国」は、八ヶ岳の地下のことだった!~

縄文時代の八ヶ岳山麓といえば近頃は「今から4~5千年前、日本列島で最も
栄えた地域である」と誰でも知っている(かな^^?)。「縄文のビーナス」と
命名され後に国宝とされる土偶が出土した「尖石(とがりいし)遺跡」を始め、
八ヶ岳縄文考古学の先駆者藤森栄一が「縄文農耕論」を唱えるきっかけとなった
「井戸尻遺跡」、諏訪社の成り立ちを考える上で貴重な「阿久遺跡」、標高1300m
と全国最高地の縄文遺跡として知られる「大深山(おおみやま)遺跡」、縄文晩期の
祭祀場とされる配石遺構が保存されている「金生遺跡」等、枚挙にいとまがありま
せん。さて、縄文ファンの皆様なら既にご存知のように、遺跡から出土した土偶や
土器にはいずれも謎めいた文様や形状が施されていて、それらがどうやら古事記や
日本書紀に書かれた神話時代の物語を表現しているらしいのですね。多くの学者達
が唱えています。
その説を傍証する出土物は、例えばちぎられて埋められた土偶が、スサノオに殺され
ばらばらにされたオオゲツヒメの物語にあてはまる等、幾つもあるのですが、今回こ
こでは「香炉型土器(釣手土器)」を取り上げたいと思います。
香炉型土器とはどんなものか、まずは写真1をご覧下さい。
香炉型土器1
八ヶ岳を中心とした長野県や山梨県で幾つも出土していますが、どうみても古代のランプです。
内壁のただれ具合や煤の付着等からもそのようにされて比定されています。大きく開いた窓は
周囲の文様等から女性の陰部であるとされています。陰部から炎が舞い上るという形状か
ら、沢山の神々を産んだイザナミが最後に火の神カグツチを産んだことを表現してい
ると推測されています。
火に陰部を焼かれてイザナミは死んで黄泉の国にいってしまうのですが、
写真2をご覧下さい。
香炉型土器2
この土器の表と裏です。表に比べてなんとおどろおどろしい形状でしょう。
髑髏のようにも思えます。この様な表現は他の香炉型土器にも見られます。
写真3はその一例です。
香炉型土器3
イザナミを追いかけて黄泉の国に行ったイザナギが見たのは、醜くく恐ろしいイザナ
ミの姿でした。この土器の裏面は黄泉の国のイザナミを表現しているのです(冥界分
離神話と言います)。これが井戸尻遺跡から出土したことに重大な意味があると私は
考えています。
小淵沢には八ヶ岳の地下こそ記紀に表現された「黄泉の国」であると唱える郷土史家
がおられますが、この土器が八ヶ岳から出土したことによっても証明(?)されたの
ではないかと、私は思うのです・・・。

古事記、日本書紀といえば8世紀に完成したものです。それら記紀の内容を縄文土器
に表現したということになると順序が逆なので、縄文時代には既に記紀に表現されて
いる神話が当時の人々に信じられていたという事になります。イザナミ、イザナギ、
カグツチ等の神々がどの様に誕生していったのか、文字もない(と考えられていま
す)時代に、どの様に伝えられていったのか。そしてもし記紀の神話時代の数々の
物語が、八ヶ岳山麓に居住していたた縄文時代の人々の信仰生活によって形作られ
ていったとすれば・・・。
と想像することで、私の八ヶ岳生活はますます楽しく豊かになっていくのです♪

狛犬の話 その後

先日の日記で「狛犬は阿吽という一対の像だが、どちらも雌である」と主張するお客様がいらしゃった、と書いた。「それが証拠に私が今までみてきた狛犬に雄の象徴であるアレがついているものは3体しかなかった」とその人は言った。いやなかなか意表をついた面白い説に思わずうなり(その説が正しいかどうかは別問題)、私は勇んでその説を我が歩こう会のお歴々にも披露したのだった。さてそれからというものは、我が会の男女は皆、狛犬をみると思わず股間を覗き込むという、大変あやしい方々となってしまった。
で、本日。
八ケ岳歩こう会では身延線小井川駅から市川本町まで歩くウオーキング例会を実施した。歩き始めてほどなく八幡穂見神社という所に着くや、前方から「多賀さん、あったあった!」という大きな声が伝わり、ナニゴトゾと急げば、「狛犬の股間にアレがついてます」と大騒ぎしているのだった(^_^.) おいおい、大騒ぎはやめなさい、ここは神聖な境内であるゾ((+_+)) ま、しかし、ドレドレと覗き込むとなるほどまごうかたなき男性の象徴が股間に鎮座ましましているではありませんか。
2011-12-12-3.jpg
(こまいぬさん、失礼)
で、相方はというとこんな感じ
2011-12-12-4.jpg
なにもついておりません。(シツレイ)
なんだ、あっけなく彼の人の説は崩れたなあと思いきや、帰ってからネットで調べたらなかなか興味深いことが分かったのです。
その1)ある方が530体ほどの狛犬について調べたら約9割が性別不明であった。(やっぱりね)
その2)狛犬は性別を超越した神性を持つものである(と、ほとんどの方は書いている)
その3)股間になんにもついてないからといって雌である証拠にはならない
その4)「雌である」と判別するのは主に子獅子に授乳しているらしき形体で判断される。
その5)なんと阿吽一対が2体とも「雄」である場合が23件あった!
その6)どうもはっきりとした「雌の象徴」を持つ狛犬はいないらしい?
こうなると何故神性獣の股間に雄の象徴をつけるのか調べたくなりますが、今日はこれまで。
興味のある方はご自分でお調べください。
なを、ものはついでに調べていたら、我が故郷の藤沢は江の島神社の狛犬に、はっきりとした雌の象徴をもつ狛犬がいることが分かったのです!!。なんだ、案外身近に特殊な狛犬がいるじゃないか、と感嘆。画像もついていたが、特に秘す。我が狛犬研究の今後の行方は如何に・・・。
今日は大変愉快なウオーキングでありました。

多賀

国産み神話というものがあります。イザナミとイザナギが天の橋から矛で「混沌」をかき混ぜ、矛の先から滴り落ちたものがかたまって島となるのです。最初に八つの島を生んだので日本の国は「大八島国(大八洲国)」とも呼ばれますが、中でも一番最初に生んだ島が淡路島であります。
八つの島を生み終えたイザナミ、イザナギは淡路島の多賀という場所に鎮座するのです。現在「淡路一宮」として立派な「いざなぎ神宮」が鎮座ましましておりますが、その地名から「多賀明神」とも「多賀宮」とも呼ばれて親しまれております。
さて、イザナミ、イザナギは「国」を産んだ後「神」を産みます。次々に神を産んで、一番最後に、天照大神、月読命、須佐之男命を産みます。
ということは・・・「多賀宮」は、天照大神を祀る「伊勢神宮」や須佐之男命を祀る「出雲大社」などよりも古いということになります。「お伊勢参らばお多賀に参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と室町時代に既に謡われていました。現に滋賀県の多賀大社は「伊勢神宮の御親神様である」とされています。現在の天皇家につながる「ウガヤフキアエズノミコト=神武天皇」は天照大神からさらに6代(?)くらい後に出現するのだから、「多賀」は天皇家より古い日本人の祖先かもしれない。
なんてことをね、いつも思っているのですよ。たまたま先日来たお客さんとそんな話になったので、本日書きとめておきました。淡路島に行くことと、滋賀県の多賀大社に行くことがずっと前からの自分自身の宿題なんですがネ、まだその機会がない。

新説・万治の石仏

万治の石仏といえば岡本太郎が紹介して以来人気となった石仏で、今では諏訪の観光名所の一つとなっています。この石仏にまつわる謎が多すぎるのです。興味ある方は検索すればたちどころに幾つかの紹介ページが出てきます。お馴染みの説もへ~よく調べたなという説も多い。
万治の石仏はその石に「万治三年十一月一日」と刻まれていることから命名されました。万治三年とは西暦1660です。また、石には「願主 明誉浄光 心誉廣春」と刻銘もされています。この2人は誰だったのか、というのが謎の一つです。僧籍にも見当たらずどこにも記録がない。長い苦労の果てに「宮島潤子」という方がこの2人が誰なのか解き明かしました。それによると、尊敬する師の50回忌(万治三年)に明誉、心誉という無名の2人が作ったのだろう、という結論をだされました。しかし、この石仏の頭部が「日本の石仏」にしては相当違和感のある事実に触れておりません。この石仏の表情こそ、謎の最大の焦点なのです。
石仏の顔をよ~くごらん下さい。この石仏は阿弥陀様とされておりますが、一体この顔のどこが阿弥陀様なのでしょうか。私には思慮深い西洋人の顔立ちのように思われてなりません。
mannjisekibutu.jpg
私は「万治の石仏の謎」に「万治の石仏は隠れキリシタンが作った」という新説を掲げて、論議に参戦してみようと思うのです。
といっても、これは私が思いついた新説ではありません。諏訪文学という会誌に掲載された文章をたまたま見せてくださった方がおり、大いに感銘して私も同意しただけの話です。まだ著者の同意も得ていないので詳しい紹介は避けますが、触発されて私なりに調べたところ、飯田城主が京極氏だったころ(1600年代前後)高遠はキリシタンの拠点だったということが分かりました。この石仏は高遠の石工が作ったとされていることから、キリシタンの石工が作ったものとしても不思議はありません。著者によると明誉浄光のクリスチャンネームまで調べ上げていますが、出典が不明なので要確認です。石仏にはキリシタンものとでも呼ぶべき一群があります。俗に子安観音などという「子供を抱いた観音様」がそうです。全国各地に見られますがこれは明らかにマリア信仰であるとされています。キリシタンに詳しい石工が全国に散らばって従来の石仏の姿から見ると異形な石仏を作り始めました。中には、馬頭観世音で頭部が3つもあるようなのは「三位一体」を表現している、なんていう説もありますがこれは眉唾と見て慎重に検討しなくてはいけませんが・・・。
ところであらためて万治の石仏の頭部に注目してみると、頭に被っている帽子のようなものがどうもカトリックの神父さんが被っているもののように見えませんか?
katorikku.jpg
う~ん、やっぱり諏訪は不思議だらけだ。
この項続きます。

戦争を放棄した国に自衛隊があることについて

恥ずかしながら聞けなかったことが、こっそり本を読んで分かりました(*^^)v
それは「どうして自衛隊が日本にあるのでせう?」「自衛隊誕生の経緯は?」という長年の疑問です。日本は憲法で戦争を放棄していますが、自衛の為の軍備ならまぁ、あっても仕方がないのかなぁ・・
という程度の認識でありました。が、まるで違ってました。
マッカーサーは戦後の日本を永世中立国スイスにならって「アジアのスイス」にしたい、という理想を持っていたのだそうです。なので戦争放棄を謳わせた現在の日本国憲法を作りました。当然自衛隊のようなものでさえ持つことは想定されていませんでした。ところが、戦後、ソ連の後押しをうけて中華人民共和国が誕生してしまったことで、事情はおかしなことになってきたのです。
急速にチカラをつけてきた中国の台頭はマッカーサーの誤算でした。「このままではアジアは共産党勢力に呑まれてしまう」と恐れ「日本を防波堤にしなければ」と考え、なんと今度は日本に軍備をするよう要請してきたのです・・・!
アメリカという国は自国の主張を押しつける為ならまったく身勝手な要求をしてくる国ですね。北朝鮮と同じじゃありませんか。そこで「何を言っとるんだ」とアメリカを一喝したのが白洲次郎です。「戦争を放棄せよ、と言ったのはアメリカだ。そのアメリカが軍隊を持てとわが国に言えるスジがどこにあるっ」と怒ったわけです。当然ですね。「日本の再軍備は貴国の役目である」と言い放つダレス国務省顧問に「責任は持てません、そんなことをしたら国民は国家を認めないでしょう。日本中が赤に染まりますよ」と言ってダレスを沈黙させたそうだ。
しかしその後の歴史は、ご存知のように、朝鮮戦争勃発を契機としてGHQは日本政府に警察予備隊を作らせました。これが後に自衛隊となるのです。アメリカは憲法公布直後から一貫して日本に軍隊を持たせたいと考えを変えています。しかし自ら戦争放棄の憲法を作ってしまった為、大変苦労(?)しております。
今、これを「アメリカから押し付けられた憲法だから」という理屈で改正(?)しようとする動きがあります。アメリカから押し付けられた憲法を捨てて、よりアメリカが喜ぶような憲法を作ろうとしているのです。大丈夫か日本!?
自衛隊は自分の国を守る組織として発足したのではなく、共産勢力からアジアを守るための(守るためなら国外にでも出て行く)組織として作られたのでした。世界情勢の変化にともない、自衛隊はもっともっと国外に出るべきだ、とアメリカは考えています。
こんな時白洲次郎が生きていたらなんというだろうか・・・。以上、昨晩ほとんど徹夜で「白洲次郎の日本国憲法 鶴見紘著」という本を読んで分かったこと、考えたことでした。今ブームの白洲次郎ですが、たまにはブームに便乗してみたら、なかなか面白い発見がありました。