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読んだ本のことなど。

このFC2ブログは無料なので、日記をサボっているとヘンな広告がTOPページに出てきてしまいます。ので、たまには書き込まないといけません。どうも一度サボるとクセが付いてしまいますね。というわけで、「読んだ本のことなど」を書いてお茶を濁そうかと思います。

今日読んだ本の中に、「母」は近くにおり「お袋」は遠くにいる、という一節がありました。

なるほどなあ、特に男性の場合はそうですね。「お母さん」というのは直接呼びかける言葉ですが、「お袋」というのは、家を離れている時に母のことを他人と話題にする場面などに使います。

「父さん」と「親父」の言語関係もそうなんだろうなあ。親父も男言葉ですね・・・。

なんてことをあれこれ考え始めると古代日本語の誕生と古代韓国語の関係とか、いろいろ調べたくなりますが、今日はここまで。
広告を消せばいいので(^^;)

しかし、
「母」も「父」も、とっくに「遠くにいる」言葉となってしまったなあ・



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家族旅行2016年3月

山陰山陽四日間の家族旅行に出かけて来ました。出発前日に靴を買いに出かけて偶然大森たつし君に出会い、思いがけない旅行先のアドバイスをもらった事で、旅の楽しさが何倍にもなりました。島全体がアートしている直島を勧めてくれたのですが、いやー素晴らしかった。中でも「地中美術館」の体感型アートに感動。若い人、女性、外国人であふれていたことにも驚きました。
足立美術館でも庭園を見せる為に建物に仕掛けられた工夫の数々と、来館者の多さに驚きました。こちらは想像通り年配者ばかりでしたが、後から後から来館者が来られます。館内はとても広いので、観光バスが何台来ても問題ありません。新館の現代美術館の絵画も見応え充分でした。
大原美術館は定番・安定の人気館として老若男女で賑やかでした。
こんなに世の中に「美術館」が支持されていたなんて^^; 実は知りませんでしたが、見て納得です。
今や、美術館はただ単に展示物を見せるだけの建物ではないのですね。
動物園がただ単に動物を檻に入れて入場者に見せる、というだけのアトラクションではなくなったと同様に、美術館も、テーマパークとしての要素なども取り入れて、参加型、体感型の美術館へと進化していたのですね。知りませんでしたm(._.)m
斬新なアイディアとそれを実現する情熱、明確なターゲットとそこに届ける広報の徹底が実現されれば、どんな田舎のどんな不便な場所でも、人で一杯になることを、この目で確認できた事が、一番の収穫かな。大森君、ありがとう。芸術全般と美術館を観る目が変わりました。
ところで、直島散歩中に出逢った鏡舞台。どこからどこまでが虚像か、分かりますか?
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新年会2016

恒例の一族新年会 もう何年続いているのだろうか? 娘たちが生まれる前から続いていることは間違いない。主役は私たちの両親だったが、両親はすでに亡く、我が家の娘たちがアイドルだった時期もあったが、時代は流れ、今や甥や姪の子供たちが主役だとなっている。
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それにしては、今年はちょっと薄暗い会場を選んでしまったかな(^^; まいいか。場所を新宿から品川にしたのは正解だったかもしれない。
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解散後時間のある連中でカラオケ二次会。
平和な一日でした。

成人式

梨絵の成人式。成人の日は明日12日だそうですが、全国的に今日11日の日曜日にやるところが多いそうです。梨絵も朝7:00くらいには予約してある美容院に出かけて行きました。着付けも頭も全部やってくれるのです。ネット情報によると、横浜では予約し忘れてあわてて美容院に電話したら零時なら空いていますと言われて、しかたなくそうした人も発生したそうです。美容院は零時頃からずっと仕事なんだね、大変だ。しかしそのくらいの時間帯に着付けと頭をやっちゃった人は、ずっと起きているんだろうか???どちらも大変だ。
それはともかく、わが家では子供達を五年ごとに写真を撮って全紙に伸ばして額に入れる、という行事を続けています。0歳の写真がもとになります。5歳の時に、0歳の写真を持って撮ります。10歳の時に5歳時に写した額を持って写真を撮りますが、その写真には0歳の時の写真も写りこんでいる、というわけです。それを15歳の時も続けて、成人式の本日撮ると、メデタクその中には、0歳の時の写真を持っている5歳の時の写真を持っている10歳の時の写真を持っている15歳の時の写真とともに20歳の今の自分を撮れるわけです、って写真見た方がはやいですね。
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こんな感じです。
いつまで続くやらですね。結婚までかな。
ま、成人おめでとう。

家族の肖像

「生涯の写真を始末して涼し」
先日の新聞の俳句投稿欄に掲載された句です。
これで決心がついた。

夏前に我が家に届いた段ボール3箱分の写真。実家を整理している長兄から送られてきた我が家の「宝」だ。しかし、我が家も丁度「断捨離」中。あらゆる不要なものをドシドシ捨てている最中なので、新たに段ボール3箱分の写真が来ても実は困ったのだった。アルバムにして約30冊の写真の中には我が母の幼少時代の頃、我が父の独身の頃、両親の新婚旅行、などなどが収められている。母の両親の結婚式の写真なんていうものまであって、それはおそらくもう100年くらい前に撮られたものだ。私にとっては宝だが、大部分の写真は両親それぞれの親戚との旅行やら宴会やら、あるいは何の変哲もない日常の風景だ(80年~40年くらい前の大変貴重な風俗の記録ともなっているが)。しかしはたしてそれらをわが娘らが見てどう思うだろうか。どこのオジサンかオバサンだか分からない連中が写っていたって面白くなかろう、1度くらいは興味半分で見てくれるだろうが、これを「宝」と思ってくれるとはとても思えない。
有名家族の記録写真であればどこかに寄付してもよいが、奇特な民族資料館があったとしても、市井の無名の家族の肖像を段ボールに3箱送ってもらっても困るに違いない。ハテどうしたものかと思案していたが、新聞の俳句にひらめいた。
「ヨシ、捨てよう!」と。
世の中には同じ想いの方がいるものだ。
多分この俳句の作者はかなりの老境の身で、そろそろ身辺整理をされておられるのだろう。
両親を亡くされた方々ならお分かりだろうが、遺品整理というのは大変厄介なものだ。
貴重で高価な遺品ならありがたいが、遺品のほとんどが「引き取り手のいない」「燃えるゴミ」であり「粗大ゴミ」なのだ。「誰が見ても不要」なものなら遠慮なく捨てるが、「もしかしたら大切な」ものかもしれないとなれば、処分が難しい。「写真」なんていうものはその最たるものだろう。
今は亡きそして懐かしき両親やら祖父母らが写っているとなればおいそれと粗大ゴミに出せるものではない。
と、思っていたが、出すことにした。両親や祖父母は写真の中にいるのではなく、私の思いでの中にいるのだから、と言い聞かせて。それに今はお盆だ。
ご先祖様たちは帰ってきている。
本当なら送り火を焚く時に一緒に燃やして送り出したいが、時節がらそうはいかない。
5冊づつひもでまとめて塩をふりまき、手を合わせて我が家のゴミ置き場に置いた。
丁度お盆が終わったら契約している業者がゴミを引き取りにきてくれる。
やれやれ、お墓参りにもいかずこんなコトしてバチがあたるかもしれないが
私たちだっていつ死んでしまうか分かったものではない。
我が娘らにまで我が両親の遺品整理を引き継ぐわけにはいかない。
実は、我が家には私自身が撮った我が家の写真というのがアルバムにして約30冊あるのです。これらの処分も追って考えねばなりません・・・。
さて、
捨てる前に記念としてPCに取り込んだ写真をここにUPしておこう。
まずは
「石原家の肖像」母の娘の頃の実家の庭で撮られた記念写真。約80年前の撮影だ。
右から2番目が母。まだ中学生の頃だろう。
戦争前の幸せな時代です。
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次に
「今野家の肖像」母が今野と結婚して私たちを産んだ。約40年前の撮影だ。
右から2番目が私。私が20歳の頃だろう。
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そして
「多賀家の肖像」私が多賀と結婚して姓を多賀とした。去年の撮影である。
娘が二人。さて、この後に娘らはどのような家族を作ってくれるのか。
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しかし子供の数が時代を反映しているね。
母が娘だった頃母の兄弟は6人
私が子供だった頃私の兄弟は4人
そして私の子供は2人。
日本人は人口減少しているそうだが、わが家族の履歴をみても一目瞭然です。

それにしても
このように並べてみると、あらためて
命のバトン、という言葉に思い至る。
今、娘らがいるのも、私がいるのも、この写真のさらに昔の、もっと以前の、歴代の「家族」がいたからだということに思いが至ると、自分の存在が奇跡中の奇跡であったことに気が付く。
歴代の「親」の中の誰か一人でも、運命が違って他の誰かと結婚していたらここに私も娘もいなかったのだから。現に私だって今のカミサンと出会う前に「結婚を約束」した人がいた(って、こんなところで告白してどうする^_^;)。運命が一歩違っていたら写真の娘たちはここにいない。
自分自身の存在を一体誰に感謝したらいいのだろうか。
言葉が無いので「この世のあらゆるものに感謝です」という他はない。
お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お祖母ちゃん、感謝してますよ、だから粗大ゴミに出したことを許してね。

繰り返すアホ息子

「今日(11/7)夜の8:44、いきなり私のケータイが「時間になりました、時間になりました」とささやき始めた。私はアナログ人間で、ケータイでスケジュール管理などしないので(できないので^_^;)最初はなんだか分からなかった。が、どうもケータイから音がして、スケジュールに関することらしかったので、開いてみると、なんと画面は、今日は我が父の命日だと教えていた((+_+)) エ~ッと驚き、なんでなんで??と頭をフル回転させてみたら、どうやら私自身がズボラで父の命日など絶対わすれると自覚したのか、慣れないケータイの手帳機能を使ってなんとか自分でメモしておいたのだった。ということを思い出した。
実に親不孝な息子だ。父の命日を忘れるなんて・・・ま、メモしておいただけいいか(*^^)v。あわてて父の写真に酒を供えて、私も一杯やった。1周忌は来週執り行うのだったっけ。 ゆるせ父よ。
ちなみに母の命日もメモしたんだっけ、確か母は6月だったよなぁとスケジュールを繰ってみたら、はたして6月14日にちゃんとメモがしてあった。8:49となっていた。父の時間と近すぎるところを見ると、これは亡くなった時間ではなく、私がメモした時間なのね??」

という日記を去年書いた・・・。で、今日、案の定私のケータイがいきなり「時間になりました 時間になりました」とささやきはじめた。あ、やっちゃった(^_^.)・・・。 今日は母の命日だった(@_@;) しまったなあ、ちっとも思いださなかった。去年と同じことをどうして今年もやっちまうんだろう、我ながら情けない(T_T) 我が家には仏壇も線香もない。両親は小さな額の中に納まって、テレビが置いてある棚の所にちんまりと置かれている。テレビを見てアホ面している私たちの顔を向こうから眺めて毎日呆れていることだろう。晩年少しはお酒を飲めるようになった母に缶ビールを捧げて、一緒に飲むことにした。(今晩飲む言い訳ができた^_^;) 来年の今日もまた同じような日記を書いてないといいが・・・。