「生涯の写真を始末して涼し」
先日の新聞の俳句投稿欄に掲載された句です。
これで決心がついた。
夏前に我が家に届いた段ボール3箱分の写真。実家を整理している長兄から送られてきた我が家の「宝」だ。しかし、我が家も丁度「断捨離」中。あらゆる不要なものをドシドシ捨てている最中なので、新たに段ボール3箱分の写真が来ても実は困ったのだった。アルバムにして約30冊の写真の中には我が母の幼少時代の頃、我が父の独身の頃、両親の新婚旅行、などなどが収められている。母の両親の結婚式の写真なんていうものまであって、それはおそらくもう100年くらい前に撮られたものだ。私にとっては宝だが、大部分の写真は両親それぞれの親戚との旅行やら宴会やら、あるいは何の変哲もない日常の風景だ(80年~40年くらい前の大変貴重な風俗の記録ともなっているが)。しかしはたしてそれらをわが娘らが見てどう思うだろうか。どこのオジサンかオバサンだか分からない連中が写っていたって面白くなかろう、1度くらいは興味半分で見てくれるだろうが、これを「宝」と思ってくれるとはとても思えない。
有名家族の記録写真であればどこかに寄付してもよいが、奇特な民族資料館があったとしても、市井の無名の家族の肖像を段ボールに3箱送ってもらっても困るに違いない。ハテどうしたものかと思案していたが、新聞の俳句にひらめいた。
「ヨシ、捨てよう!」と。
世の中には同じ想いの方がいるものだ。
多分この俳句の作者はかなりの老境の身で、そろそろ身辺整理をされておられるのだろう。
両親を亡くされた方々ならお分かりだろうが、遺品整理というのは大変厄介なものだ。
貴重で高価な遺品ならありがたいが、遺品のほとんどが「引き取り手のいない」「燃えるゴミ」であり「粗大ゴミ」なのだ。「誰が見ても不要」なものなら遠慮なく捨てるが、「もしかしたら大切な」ものかもしれないとなれば、処分が難しい。「写真」なんていうものはその最たるものだろう。
今は亡きそして懐かしき両親やら祖父母らが写っているとなればおいそれと粗大ゴミに出せるものではない。
と、思っていたが、出すことにした。両親や祖父母は写真の中にいるのではなく、私の思いでの中にいるのだから、と言い聞かせて。それに今はお盆だ。
ご先祖様たちは帰ってきている。
本当なら送り火を焚く時に一緒に燃やして送り出したいが、時節がらそうはいかない。
5冊づつひもでまとめて塩をふりまき、手を合わせて我が家のゴミ置き場に置いた。
丁度お盆が終わったら契約している業者がゴミを引き取りにきてくれる。
やれやれ、お墓参りにもいかずこんなコトしてバチがあたるかもしれないが
私たちだっていつ死んでしまうか分かったものではない。
我が娘らにまで我が両親の遺品整理を引き継ぐわけにはいかない。
実は、我が家には私自身が撮った我が家の写真というのがアルバムにして約30冊あるのです。これらの処分も追って考えねばなりません・・・。
さて、
捨てる前に記念としてPCに取り込んだ写真をここにUPしておこう。
まずは
「石原家の肖像」母の娘の頃の実家の庭で撮られた記念写真。約80年前の撮影だ。
右から2番目が母。まだ中学生の頃だろう。
戦争前の幸せな時代です。

次に
「今野家の肖像」母が今野と結婚して私たちを産んだ。約40年前の撮影だ。
右から2番目が私。私が20歳の頃だろう。

そして
「多賀家の肖像」私が多賀と結婚して姓を多賀とした。去年の撮影である。
娘が二人。さて、この後に娘らはどのような家族を作ってくれるのか。

しかし子供の数が時代を反映しているね。
母が娘だった頃母の兄弟は6人
私が子供だった頃私の兄弟は4人
そして私の子供は2人。
日本人は人口減少しているそうだが、わが家族の履歴をみても一目瞭然です。
それにしても
このように並べてみると、あらためて
命のバトン、という言葉に思い至る。
今、娘らがいるのも、私がいるのも、この写真のさらに昔の、もっと以前の、歴代の「家族」がいたからだということに思いが至ると、自分の存在が奇跡中の奇跡であったことに気が付く。
歴代の「親」の中の誰か一人でも、運命が違って他の誰かと結婚していたらここに私も娘もいなかったのだから。現に私だって今のカミサンと出会う前に「結婚を約束」した人がいた(って、こんなところで告白してどうする^_^;)。運命が一歩違っていたら写真の娘たちはここにいない。
自分自身の存在を一体誰に感謝したらいいのだろうか。
言葉が無いので「この世のあらゆるものに感謝です」という他はない。
お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お祖母ちゃん、感謝してますよ、だから粗大ゴミに出したことを許してね。