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むやみな放流

先日の朝日新聞に「蛍をむやみに放流・繁殖させるな」という趣旨の記事が載ったらしい。知人が教えてくれた。記事は読んでいないので詳細は分からないが全く同感、わが意を得たり。
 ホタルを増やすには大量の幼虫とカワニナを川に放すわけだが、それが生態系に影響を及ぼしている、特にその地域にもともといたのではないホタル(他の地域から輸送してきたもの等)だと、地域にとってそれは「外来種」に他ならず、ますます生態系が破壊される、という趣旨の記事だったそうだ。
その通りなのですよ。私のホタル日記にも何度も書きましたが、どうも「ホタルが増えれば自然が豊か」と考える人たちが多すぎて、ホタルを増やすこと自体が自然保護活動だと思っている人が多いように思います。まったく勘違いなのですネこれが。「ホタルを増やすこと」に熱心であるのは単なる御自分の「趣味」にすぎません。趣味と自覚して行なえばいいのですが、それを「自然保護活動」と思ってしまう人が多いので困ります。ネットで検索してみるとそれらのあ~勘違い的な方々のなんと多いことか。これはメディアの勉強不足も大いに関係してますね。ホタルを放流している本人達は特に意識していなくてもメディアが「よみがえれ自然」とか「環境をホタルに托して」とか「子供達に命の大切さを」なんて、どうしてもそういう方向で書いてしまう。今やホタルは環境問題のシンボルなのですね。
しかしもしホタルを通して自然保護・環境保護の活動をしたいのなら「ホタルをこれ以上減らさない運動」こそが正しいありかただと思うのです。それにはホタルの棲息する河川全体の環境を整えることが必要で、例えばコンクリート護岸を土に戻す、流域からの汚水流入を防ぐ、周辺田畑の農薬使用料を減らす、河川両岸に木を植える、周辺の街路灯、運動場の夜間照明等の明りが川面に差し込まないようにする工夫等々、厄介なことが無限にあります。これらの「環境」が整えられてはじめて「環境問題」に取り組んでいることの「証明」になるのでしょうが、それらの問題を解決せず、ただ単に「ホタルを養殖して放流し数だけ増やす」ことだけをしても、なんら環境問題に取り組んでいることにはなりません。むしろ増やされたホタルこそ迷惑で、生態系攪乱をしているだけということになってしまいます。

・・・といってもね・・
ホタルの減るのは寂しいことだから、つい増やしたくなりますよね・・・
その地域のホタルをその地域で増やしていくことは「趣味」として結構なことだとは思いますので、私の本音を書けば、どうぞそういう趣味の方々は大いにその範囲でホタルを増やしていっていただきたい。で、メディアはホタル=環境問題と捉えずに冷静に報道していただきたい。報道の方向を誤ると、ホタルの数の多さを競うだけの放流合戦になってしまいます。
先日我が家に「ホタル見られますか」という宿泊の問合せがありました。「はい、今が丁度見ごろでオオムラサキセンターでは100匹くらいが飛んでいます」と伝えました。ところが先方は「なんだ、100匹か・・・、もうちょと数千とか数万とか飛んでいるところないんですか」というやり取りがあって、結局我が家には泊まらないことになりました。要するに都会の人たちにとってホタルは単なる観光の見世物にすぎません。数が多ければいいのです。田舎に住む私達がそれと同じ考えに染まってはいけません。そこが「ホタル100匹」の里であれば、その数が適正なのであって、その数を減らさないことこそ大切だと思うのです。
「減らさない活動」をしていって、結果的に増えていけば理想ですけど・・・。

怠け者の私はこんなこと書いている割に何もしてません。ホタル観察の時にゴミ拾いをするのがせきのやま。しかしね、このゴミ、なんとかなりませんか! ゴミは棄てなければ発生しないのですから、捨てなければ解決する話じゃありませんかっ、って怒っても仕方ないが、・・・・何で棄てるかなぁ・・・

オオムラサキセンターの蛍

20:00 外に出たら金星と月がいきなり目に飛び込んできた。月の下に見慣れない星があったので調べたら土星だった。そうか金星と土星が同一視野に見える時期なんだ、しかも月のすぐ下で♪。久しぶりに見上げる空は、すっかり様子が違っていた。新鮮だった。なんだか今晩は蛍もよく出そうな気がするなあとルンルン気分でオオムラサキセンターへ。
お~っ、いたいた!
もうすっかりオオムラサキセンターは蛍天国になっていた。ザッと100匹はいたんじゃなかろうか。源氏だ。この川はホントに蛍にとっては理想的だといつも思う。川岸に沿って背の高い木々が続いて森を形成し、川の水面上空に暗くて湿った立体的な空間を創り上げている。蛍はその空間を大きな水槽の中の熱帯魚のようにツイ~ツイーと泳いでいる感じ。水車の前に広がる棚田の上空をフワフワしていたのも源氏だ。水田の上には暗い空間が無いのであまり上空には飛翔しない。目を水平に動かしていれば蛍を追える。それはそれで平和な光景だが、垂直に飛翔して、見上げる星の間に紛れて見失う蛍を見るのも華やかでいい。
今晩はその二つを満喫♪ 
でもやっぱりあれだなぁ、私の思い込みなのかもしれないが、蛍は星のきれいな晩はよく出てくれるなぁ。理論的にそんなことは無いんですけど。
蛍が初めて見る光は星か仲間の蛍の光かどっちだろう?どっちにしても蛍はきっと星もライバルとでも思っているのかもしれない。負けずにきれいに光りたいのだろうと思う。だってこの世に出てきてたった1週間の命だから。一生懸命ひかりなさいね。
小さな子供を3人も連れて夕涼みに来たらしき家族連れがいた。帰り際、お母さんが「いいところに住んでるね~」としみじみ子供達に語りかけながら歩いていった。同感だ。

ところでセンター入り口から遊歩道を歩き始めてすぐのところで、近くの高校のグランドの夜間照明が目に入るのは興ざめ。少し植栽を増やせばかなり光源を隠せると思うので実施して欲しいところだ。

平家はまだいないようだった。

蛍に再開

本日21:00過ぎ、長坂町の秋葉ホタル公園にでかけた。本来なら20:00に行くべきだったが、ちょっと用があった。公園に入るには短い階段を下りなければならない。ここをあえて懐中電灯を使わず、ソロリソロリと手摺をたよりに歩けば自然に目が暗闇に慣れてくる寸法だ。下りきった先に橋がかかっている。橋の先が公園だ。今晩は橋に着いたとたん川の奥に1匹源氏が飛んでいるのが目に入った。「お~、いたいた、今年も出てくれたじゃないの」と一年ぶりの再会を懐かしんだ。無事に地中から出てきてくれたことが嬉しい。これから約2ヶ月ホタル君との会話が楽しめる。
私は1,2年前からホタルの会話を読み取る訓練をしている。毎年観察の初めには思い出せないで、去年の日記を読み返したりしているが、思い出してくればコッチのもの、自在にホタルの意思を読み取れるようになるから不思議(って、もちろん私が勝手にそう思っているだけ)。先日も書いたが、動物観察の楽しみは「アイツ今一体何をしているのか」と推理することにある。ホタルがフラッシュ発光する、何故今発光したのか、その結果どうなったか、その前はどうだったか、ホタルが葉っぱに止まった、何故止まったのか、誰かを待っているのか、誰かから逃げているのか、疲れたのか、などなど、すべての行為に意味を見出し、勝手に物語をつくる。するとあら不思議、自然にホタルの行動のクセや習性、生態などが理解されてくるではありませんか。そうすると、もしホタルに意思があれば、今何を喋り何を思っているかまで想像できてしまうから愉快なのです。
誰もいないと思われた公園の奥になにやら人影発見。石仏のような人影に一瞬ギクリとしたが、座っているアベックだった。邪魔しちゃ悪いと思ったが、20:00頃の公園のホタルの様子を聞こうと思って近づき話しかけた。そしたらアベックもついさっき来たばかりだという。須玉からはるばる長坂へホタルを見にきてくれたのだ。須玉にだってホタルくらいいるだろうに・・・。まぁそのくらいホタルが好きということか。或いはホタルにかこつけて彼女を夜の公園に誘い出す手かしらないけれど(コレを下衆のかんぐりといいます)。しかし今後も彼女をホタル見物に誘うのだったら20:00からにしなさいねと教えておいた。ホタルは20:00から21:00にかけて活発に求愛活動をするというのが案外しられていない。もっともカップルにとってみれば遅い時間に公園に誘い出した方が好都合かもしれず(?)私の余計なアドバイスは野暮だったのかもしれない。文中先に「アベック」と書いたところを今「カップル」と表現しなおした。以前娘の前で「アベック」なる言葉を使ったら「死語」だと笑われたことを思い出したからだ。
やれやれ、ホタル観察も随分あちこちに気をつかう。

八ヶ岳ホタル通信

我が家前のホタルを観察して6年目。
ホタルに詳しいヒトが読んだら笑ったり怒ったりしそうな頓珍漢なコトばかり書き続けている。自分では勉強も研究も保護活動もしていない。ただひたすら自分の目でホタルを観察して気がついたことや感じたことのみを書いている。
素人が勝手に想像してホタルを観察するとこうなる、という代表的な例かもしれない。なにしろ「ホタルは手にとってみよう」とか「ホタルはタケコプターのように飛び上がる」とか書いている。どれも素直な自分の意見であり、実際に目撃したことだから仕方がない。
いままで反論無用の日記として書いていたが、今年からブログにして「皆様のご意見をいただく日記」にしてみようかとも思う・・・。
まぁ、ホタルについてのご意見など出ないとは思いますけどネ。だれもホタルの生態について関心なんか無いでしょう。だって世の中にはもっと関心を持つべき事柄が多すぎる。
昔バードウオッチングの観察指導員に、観察の極意は「今、彼は何をしているか、何故そういう行動をしているのか」を推理することであると教わった。
今、何故あそこの枝にとまっているのだろう、何故飛んでいったのだろう、何故鳴いているのだろう、地面に降りたのはどうしてか、飛んでいるのは逃げているのだろうか、追いかけているのだろうか、探しているのだろうか、単なる散歩だろうか、など等、ただ鳥が飛んでいるだけなのに「何故、どうして」と推理するクセをつけよと指導員はいうのだった。ふむふむ、私は素直だから感激していいつけを守った。そのようにするとバードウオッチングが格段に面白くなり、知識も多くなることを後に知ったのであります。

で、その観察方法をホタルにも用いたのがこの日記
ホタルはどうして(科学的な意味ではなく)光るのか、点滅するのか、飛ぶのか、今光ったのはどういう意味か、などなど、勝手に推理しながら眺めて、そこに自然の奥深さ、命のせつなさ、神の意思、人間のオロカさまでも感じてしまうという驚くべき牽強付会の観察日記。
ハハハ、暑い夏もこうして過ごせばあっという間。水辺が舞台の夏の夜の夢を、今年は貴方も見てみませんか?