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実録 免許更新の為の「高齢者講習会」

私の運転免許は今年の3月が更新だというのに、昨年の10月初旬には、はやばやと「高齢者講習通知書」というのが届いていた。高齢になるとまず近くの自動車教習所で講習を受け、その後警察署で免許を交付してもらうという二段階になるらしい。面倒なことだ。ま、しかし70歳を迎えるに当たっての通過儀礼だと割り切り、しぶしぶ本日参加してきた。結論から書くと「いや~面白い!、たまにはこういうものもいいものだ♪」という感想でした(^^)/。

昨日の夕方、予約しておいた教習所から確認の電話があった。「明日8:50までには来てくださいね」というやさしい女性の声。9:00が講習開始時刻だ。相手は高齢者ばかりなので、忘れている方も多かろうという配慮なのですね。有り難いが、わざわざ電話をするなんて仕事とは言え大変だなあ。20分前の8:40に着くように車で行くと、教習所の入り口付近にスタッフの女性が立っていて、ここからあちらに進んでください、というようなジェスチャーで誘導してくれた。指示通り行くと、今度は男性スタッフが立っていて、ここに駐車して下さい、と誘導してくれた。やけに親切だなあ。たかだか2時間の講習にもう既に二人のスタッフを使っている。
お礼を言って下車し、会場の方へ歩き出したら、そのスタッフ2名も同じ方向へ歩き始めたではありませんか。「え?私が最後ですか」と聞いたら、そうだとおっしゃる。「いや~遅くなってすみません」と言うと、「いえいえ、まだ十分時間はありますから」と言って笑ったので「そうかぁ、年寄りははやいからね~、早すぎて困るでしょ」と私がいうと、「ええ」と言いかけて「え、いえいえ、皆さんお元気で、助かります」と謎の言葉を発し、にこにこ笑う。ハハ、ま、なんでもいいや、朝から丁寧でにこやかなスタッフに迎えられて気持ちが良いなあ、と感じたのです。

教室に入ると、そのスタッフも入ってきて、何やら書類を配ったり、何かの確認などをはじめた。そうか、単なる誘導員かと思ったら、本日の教官のお二人だったのだ。あれもこれも大変だなあとますます思ったら、実はこれには意味がありました。
緊張している私達を相手にまずは雑談から始めるベテラン教官。その雑談で、全てが分かったのです。

「本日はありがとうございます。まだ正月気分のところ、申し訳ないですが、2時間下さい。なるべくはやく終わりましょうね(笑)。今日は皆さん、お車で来られました、あ、当たり前ですかね(笑) 最新のクラウンで颯爽と来られた方、32年前のお車を大事そうに乗って来られた方、赤いフォルクスワーゲンの方は左ハンドルで、あの狭い道大丈夫だったでしょうか」などなど、、要するに誘導と見せかけて、今日の受講者達の車ライフなどをそれとなく推測し、車庫入れテクニックなどの技量も見極め、ちょっとした会話などからその人の人となりをなんとなく把握して、講習に役立て用というのであった。お見事です。

「今日はもうすぐ70になる69歳の方から83歳までいらっしゃいます。初めて高齢者講習を受けられる方から、3回以上だという方までいらっしゃいますが、法令も年中変わっていますし、お伝えする内容も変わってきていますので、皆さん全員の方が初めて聞くという気持ちで講習に臨んで下さいね。もっとも前のことなんて覚えてらっしゃらないでしょうが(全員大笑)。
私の経験の中で96歳という受講者がおられました。その方は肺気腫を患ったとかで、鼻にチューブを入れて酸素ボンベをご自分で担いで、一人で来られました。こりゃ大変な方が来ちゃったなあと思ったのですが、カクシャクとしておられ、今日これから皆さんにも実際に運転をしてもらいますが、運転は確かで、動体視力などの検査もパスされて、お見事でした。人は年齢や見かけで判断してはいけないなあと改めて思いました。 その方に比べれば今日の皆さんはまだまだお若いですが、私は人を見かけで判断しませんのでヨロシクお願いします(笑)」などなど、
なかなかの話術で、いつの間にか講習がはじまり、あっというまに休憩時間。

その後様々な視力検査があり、教習所のコースの実地運転となるのです。それらがまた為になり、楽しかったのですが、話が長くなるので、それはまた明日のココロにしましょう。

もし私にまだ免許をとっていない子供や知人がいて、教習所を探していたら、間違いなくここを推薦するだろう。と、高齢受講者にも思わせるように努力をしているのだろうなあ。実際の教官達と今日の教官の差違は不明なのに。とりあえず、「受講者もお客様」と考えて取り組んでおられるのが良く伝わって、心地よく受講できたのでした♪。
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天窓にカラス(?)の糞

12月になったので、庭の鳥の餌台にあれこれ乗せてみた。まだあまり来ないが、時折ヒヨドリが顔を出す。昔は「ヒヨドリは小鳥の敵だ」と思っていたが、観察しているとそんなことはないと分かった。それからはヒヨドリも可愛く思えるようになった。しかもウィキで下記のような記述を見つけた
「仔飼いにすると非常によく慣れ、飼い主を見分けることから平安時代は貴族の間で盛んに飼われた。古今著聞集などにその記述があり、現在の競走馬のように個体名が付けられたりして愛玩されたようである。
前述のように、日本国内では都市部を含めごく普通に観察されるが、分布がほぼ日本国内に限られているため、日本を訪れる海外のバードウォッチャーにとってはぜひ観察したい野鳥のひとつとなっている」
なんだかすごい鳥ではありませんか。個体識別ができるようになると面白いかも。
それはそれとして、今朝、天窓に大きな鳥の糞が3か所ベチャっと落とされているのを発見(>_<) 餌をもらったヒヨドリのお礼のつもりか、いつも追い払うカラスの嫌がらせか。窓は手前に開くようになっているので、拭けるとは思うが、ちょっと技術が必要そうだなあ。暖かい日にやるか。
去年まではほんとうに「庭に来る鳥」たちのあれこれなんぞに全く関心がなかったが、人間て老人になると老人っぽくなるものだね。

ごみ出し生活

ペンションをやめて少し戸惑っていることはゴミの分別。どういう仕組みかしらないが、ペンション営業をしている時は業者さんと直接契約して、ゴミの分別は燃えない缶ビン類と燃えるゴミと生ゴミのせいぜい3種類だった。プラは燃えるゴミでよかった。
さて、ペンションをやめて一般ピーポーになったとたん、ゴミの分別が大変になった。まぁこれは当たり前のことで、25年間私がやってこなかっただけの話なんですが、それにしてもプラを出すときの方法がすごい。納豆の発砲スチロールはきちんと洗ってから捨てる、個包装の菓子の包みは中に残った小さな菓子の粉末をきちんと払ってから捨てる、などなど笑ってしまうことばかり。
で、今は「燃える紙」といっても一見して紙とわからない、濡れてもOK引っ張っても簡単に破れないという丈夫な紙があるのですね。プラか紙か分からないものも多いのです。かみさんに「これどっちだろう?」と聞いたら「裏にちゃんと書いてあるわよ」と言われた。ひっくり返してみたらなるほどちゃんと「紙」と書いてあった。10-26-1.jpg
紙に「紙」と書かなきゃ分からない時代なんだとビツクリ仰天(^^;
あれ、矢印がくるくる回っているのでリサイクルにまわすのかな。じゃ燃えるゴミじゃなくてミックス紙? 面倒だなあ。
プラにプラと書いてるのはさすがに以前から知ってましたが。
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しかし世の中にリサイクルなんていう仕組みがあるうちはまだまだ世の中発展途上だと思うことしきり。誰か「土からできて土に還る素材」なんてものを研究してないのだろうか。これだけ科学技術が進歩しているのだからきっともうそういうものが出来ているにちがいない。が、それを世に出すと誰かが儲からなくなってしまうので、きっと抑えられているんですね。なんてグチのような妄想のようなことの一つも書きたくなる煩雑さ。((+_+))

グチついでに書いちゃおうかな。家庭のゴミがこんなに厳しいのに、核のゴミの処分方法が全く未定のまま原発をどんどん推し進めていく国ってなに? 除染土を詰め込んだフレコンバックもあれでいいの? ヨシ、我が家もゴミの分別が面倒なので一緒くたにフレコンに詰め込んでどこかの海岸に積んでおこうかな。

丁度今日の新聞の歌壇に「燃えるのか 燃えないのかを 妻に聞く まだ分からない ごみの分別」というのがあった。ハハハ、仙台の男性、ご同情申し上げます。きっと私と同じような年齢で、老後生活が始まったばかりなんでしょう。ハッピーリタイアメントをしたものの、慣れない家庭生活に戸惑っておりますな。かみさんの邪魔にならぬよう、粗大ごみに出されぬよう、お互い、かみさんにも世間にも気を使って生きていきましょうね(^^)v