かきなぐり失礼
昼間の検診で飲んだバリウムがどうもまだ出ていないようで、なんだか気分が悪い。
ウオーキング大会が後10日前後とせまっている。手をつけていないことも沢山あり、どうも気分が落ち着かない。今年は出足が遅いのか何か打つ手をミスっているのか、申込者の数がいまいち伸びないのもちょっと心配だ。
イライラしているときは本でも、と思って手に取った本がいけなかった。「聖徳太子はいなかった」という本だった。眠れなくなってしまった。
我が家には「聖徳太子はいなかった」という類の本が3冊ある。「聖徳太子はいなかった説」は昔からあるのですが、今までは「よくある俗説」として軽く読み流していたのです。ところがこの間子供達の教科書から「聖徳太子」という文字が消えているという話を聞いたのを思い出したこともあって、「じゃもう一回読んで見ようか」と本棚から出してみたのですネ・・・。
ところで今、学校の教科書は完全に私達の頃とは違います。「仁徳天皇陵」でさえ教科書から消えています。考古学的にどうも事実と通説との間に大きな齟齬があるようで我等の(?)仁徳天皇陵は今は単に「大仙古墳」とのみ記載される存在になりさがってしまっているのでした。英語の授業では筆記体を勉強しない、というのも4年前知って驚いたものでしたが・・・。
さて、聖徳太子。ウィキペディアによるとこうなっています。一部を抜粋しましょう。
「現在の教科書では「聖徳太子(厩戸王)」となっており、今後「厩戸王(聖徳太子)」、「厩戸王」と徐々に変更されていく予定である。つまり数年後~数十年後に彼の一般的な呼称は「厩戸王」となる可能性が高い。」
つまりいきなり消すわけには行かないが、現在の学会では聖徳太子は実在しなかったことが定説になっているので、将来的には消しますよ、ということだ。お札から消えたのもそういう理由があったのだ。
へ~、じゃ、一体いつ誰がどうしてそんな壮大な虚構をでっちあげたのか、というのが面白くてここには書きませんが、あっというまに3冊を読んでしまったのです。といってもなかなか登場人物も背景も複雑で1回読んだからといって理解できず、何度も読み返さないといけないんですが・・・。
教科書を書き換えるという作業はこれでなかなか「文民統制」に役に立つもので、勉強ギライな少年だった私でさえ、教科書に載っていたことは一応信じ、教科書と違ったことを書いている本や記事を見つけると、まずそちらを疑ってかかるクセがついてしまっている。教育とは重いものです。子供達の教科書などきっと大人たちは読まないと思うが、一度目を通した方がよいですよ。
で、私は「聖徳太子」が歴史からいなくなるから「眠れなく」なっているのではなくて、「歴史は捏造され」「教科書は書き換えられる」ということが案外簡単に行なわれていることに違和感を覚え「眠れなく」なっているのです。
聖徳太子は今後仮に歴史から抹殺されても、日本人の行動は多分変わらないが、もし真珠湾攻撃の真実、従軍慰安婦の真実、南京虐殺の真実、沖縄戦の真実、原爆投下の真実、憲法制定時の真実等に触れる記述がある意図のもとに書き直され、書き加えられるのだとしたら・・・、どうもいやなカンジじゃありませんか。
今、日本の総理大臣のみならず、世界のリーダーはほとんど「戦争を知らない子供達」になっている。「歴史は繰り返す」という言葉がなにやら真実味を帯びてくるではありませんか。どうか過去の出来事をよく勉強し、歴史を歪曲せず、事実を書き換えないように、後世に伝える努力をして欲しいと願うのであります。
あ~、私はそんな心配をしているヒマはなかった。大会の運営について心配しなければならないことが沢山残っているのだった。だいたい「聖徳太子」の話から現代の事柄に話を飛躍して考えることもないのだった。やれやれ、世の中には優先して考えねばならないことが多すぎる。
そうだ、わすれてた、今日甲府の財務事務所から「国有財産の一般競争入札案内」というのが届いたのだった!!
厚さ1センチもある本で、よくこんなのをタダでくれるなあと思う。サブタイトルに「くらしに役立つ国有財産」と小さな字で書いてあってなんだか笑ってしまった。
なるほど、厚さ約1センチと書いたが、その約8割は競売物件の案内で、山梨、長野、新潟3県が19年8月に実施する競売物件についての情報だった。ちなみに北杜市からは例の棒道を含めて3件の物件が紹介されていた。案外まともな住宅物件もあって、こういう情報を欲しがっている人は多かろうなあと想像できる。確かに土地を欲しがっている方々には「役立つ国有財産」のお知らせである。
今晩は「聖徳太子」を休んで、この「入札案内」を楽しみながら読むことにします。また「眠れなくなって」しまうのか、良く眠れるか、果たしてどっちだったかは明日の報告をこうご期待。
書き終わって気がついたが「書きなぐり失礼」というタイトルもないなあ・・・、だって日記なんていつも書きなぐりなんだから。
と思ったが、まあいいや。だから日記に「タイトル」なんて必要ないんだプリプリ。
ウオーキング大会が後10日前後とせまっている。手をつけていないことも沢山あり、どうも気分が落ち着かない。今年は出足が遅いのか何か打つ手をミスっているのか、申込者の数がいまいち伸びないのもちょっと心配だ。
イライラしているときは本でも、と思って手に取った本がいけなかった。「聖徳太子はいなかった」という本だった。眠れなくなってしまった。
我が家には「聖徳太子はいなかった」という類の本が3冊ある。「聖徳太子はいなかった説」は昔からあるのですが、今までは「よくある俗説」として軽く読み流していたのです。ところがこの間子供達の教科書から「聖徳太子」という文字が消えているという話を聞いたのを思い出したこともあって、「じゃもう一回読んで見ようか」と本棚から出してみたのですネ・・・。
ところで今、学校の教科書は完全に私達の頃とは違います。「仁徳天皇陵」でさえ教科書から消えています。考古学的にどうも事実と通説との間に大きな齟齬があるようで我等の(?)仁徳天皇陵は今は単に「大仙古墳」とのみ記載される存在になりさがってしまっているのでした。英語の授業では筆記体を勉強しない、というのも4年前知って驚いたものでしたが・・・。
さて、聖徳太子。ウィキペディアによるとこうなっています。一部を抜粋しましょう。
「現在の教科書では「聖徳太子(厩戸王)」となっており、今後「厩戸王(聖徳太子)」、「厩戸王」と徐々に変更されていく予定である。つまり数年後~数十年後に彼の一般的な呼称は「厩戸王」となる可能性が高い。」
つまりいきなり消すわけには行かないが、現在の学会では聖徳太子は実在しなかったことが定説になっているので、将来的には消しますよ、ということだ。お札から消えたのもそういう理由があったのだ。
へ~、じゃ、一体いつ誰がどうしてそんな壮大な虚構をでっちあげたのか、というのが面白くてここには書きませんが、あっというまに3冊を読んでしまったのです。といってもなかなか登場人物も背景も複雑で1回読んだからといって理解できず、何度も読み返さないといけないんですが・・・。
教科書を書き換えるという作業はこれでなかなか「文民統制」に役に立つもので、勉強ギライな少年だった私でさえ、教科書に載っていたことは一応信じ、教科書と違ったことを書いている本や記事を見つけると、まずそちらを疑ってかかるクセがついてしまっている。教育とは重いものです。子供達の教科書などきっと大人たちは読まないと思うが、一度目を通した方がよいですよ。
で、私は「聖徳太子」が歴史からいなくなるから「眠れなく」なっているのではなくて、「歴史は捏造され」「教科書は書き換えられる」ということが案外簡単に行なわれていることに違和感を覚え「眠れなく」なっているのです。
聖徳太子は今後仮に歴史から抹殺されても、日本人の行動は多分変わらないが、もし真珠湾攻撃の真実、従軍慰安婦の真実、南京虐殺の真実、沖縄戦の真実、原爆投下の真実、憲法制定時の真実等に触れる記述がある意図のもとに書き直され、書き加えられるのだとしたら・・・、どうもいやなカンジじゃありませんか。
今、日本の総理大臣のみならず、世界のリーダーはほとんど「戦争を知らない子供達」になっている。「歴史は繰り返す」という言葉がなにやら真実味を帯びてくるではありませんか。どうか過去の出来事をよく勉強し、歴史を歪曲せず、事実を書き換えないように、後世に伝える努力をして欲しいと願うのであります。
あ~、私はそんな心配をしているヒマはなかった。大会の運営について心配しなければならないことが沢山残っているのだった。だいたい「聖徳太子」の話から現代の事柄に話を飛躍して考えることもないのだった。やれやれ、世の中には優先して考えねばならないことが多すぎる。
そうだ、わすれてた、今日甲府の財務事務所から「国有財産の一般競争入札案内」というのが届いたのだった!!
厚さ1センチもある本で、よくこんなのをタダでくれるなあと思う。サブタイトルに「くらしに役立つ国有財産」と小さな字で書いてあってなんだか笑ってしまった。
なるほど、厚さ約1センチと書いたが、その約8割は競売物件の案内で、山梨、長野、新潟3県が19年8月に実施する競売物件についての情報だった。ちなみに北杜市からは例の棒道を含めて3件の物件が紹介されていた。案外まともな住宅物件もあって、こういう情報を欲しがっている人は多かろうなあと想像できる。確かに土地を欲しがっている方々には「役立つ国有財産」のお知らせである。
今晩は「聖徳太子」を休んで、この「入札案内」を楽しみながら読むことにします。また「眠れなくなって」しまうのか、良く眠れるか、果たしてどっちだったかは明日の報告をこうご期待。
書き終わって気がついたが「書きなぐり失礼」というタイトルもないなあ・・・、だって日記なんていつも書きなぐりなんだから。
と思ったが、まあいいや。だから日記に「タイトル」なんて必要ないんだプリプリ。
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