戒厳令か・・・。

本日「清里開拓の道」を数人で歩いた。午後からだったので線路から下の「安池興男の道」だけを辿った。約4キロを90分ほどかけてゆっくりウオーキング。コースは「牧場通り~相の原萌木の村~駅前通り」と現代の清里観光の中心ともいうべきコースだが、同時に開拓の足跡の残るコースでもあり、新旧の清里を同時に味わうことのできる「深味のある」コースとしてお薦めだ。
11月の平日の午後とは言え、人っ子一人通っていなかった。確かに今日は本格的な冬将軍の到来を思わせる寒さが身にしみた日だったが、それにしても歩いている人のいない観光地ほど寂しいものはない。まるで戒厳令でも出ているかのようだった。冬枯れの景色のなか、静かすぎる道を歩いていると誰かが「この世の中に私達だけが生き残っているのかもしれませんね」なんて冗談を言う。一同深く頷いた。時折地元の軽トラックが通り過ぎていくので、あ、他にも誰か生きていたんだと元気になる。寂しいなあという心で景色を見るからか、いつもより余計に清里のゴーストタウン的な所が目に入ってしまう。それは火事で焼けただれたままになっている建物や、オーナー不在から既に10年以上はたっていそうな無人の建物。それらのなんと多いことか。まさに「廃墟」という言葉がふさわしい。強制的に撤去するわけにはいかないのだろうが、今日のように他に見るべきもののない季節には、それら「廃墟達」が俄然自己主張を始めだして、清里の印象を支配する。そうすると清里はもはや「シャッター通り」を通り越して「廃墟」同然の町となってしまうのだった。歩きながら「清里とは一体どういう町ですか」と素朴な質問をされたので「高原の牧場と・・・」と言いかけて詰まった。
歴史ある町なら「門前町」「城下町」「宿場町」「港町」「屋敷町」「問屋街」など呼び方もある。歴史がなくとも「坂の町」「ファッション発信地」「文教都市」「ラーメンの美味い町」「島崎藤村の出身地」などなど、表現方法は町の数だけあるだろう。
で、「清里は・・・」となるのだが、かろうじて「高原の牧場のある避暑地です」と答えたが、夏なら納得の答えも今日はむなしい。「高原の牧場のある避暑地」というイメージは30年前のアンアン、ノンノの時となんら変らない、つまり進歩が無い。
「避暑地」という立地的な条件と「高原と牧場」という自然条件の豊かさに甘えて「避暑地でどうやって過ごしていただくか」というホスピタリティに想いが及ばなかったのだ。今頃になって「長期滞在客」獲得のアレコレを模索し始めているが、避暑地イコール長期滞在ではなかったのか。
幸い今日一緒に歩いた方々は歩いていれば幸せな方々ばかりだったので、清里がどんな「町」であれ「歩いて楽しい道」があればいいのだった。その意味で「朝日が丘」のあたりの気の配りようはなかなか好評だった。人がいなくても「温かみの感じられる気配」が感じられる。この「気配」は車で通りすぎたのでは伝わらない。
「八ケ岳班」が小さな渓流沿いに作ったポケットパークも歩く人への配慮を感じさせてなかなか良い。
「歩く文化」は「接待の文化」を生む。清里中が楽しく歩けるエリアになれば木枯らしの中も温かく歩けるだろうにと感じた半日だった。
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