「コタツDE星見」DE考える

今晩もコタツを家の前の川沿いの土手に出して星を見る。私と同年代と思われるお客様たちは大いに喜んでくださった。私もうれしい。だってダジャレが通じる!(^^)! 同じ時代を生きた方々とは聴いてきた音楽も、見てきた社会的事件も、経てきた体験もだいたい同じなので、何気ないたとえ話やハナ歌やちょっとした会話のやりとりの中に、相通ずる言葉や音を発見することがある。「会話」には飛躍も発展も脱線も展開もあるが、「相通ずる言葉」の存在が、会話を自在にしてくれる。ハハハ、コタツDE星をみながらそんなことに私は感激をしているのですよ、ご同輩。若者たちと見る星も美しいが、同年代と見る星も楽しい。
2時間ゴロンとしてくしゃみが一つ。流れ星も一つだったが、あっというまの時間だった。

唐突ですが谷川俊太郎の「20億年の孤独」

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしているか 僕は知らない
(或はネリリし、キルルし、ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
引き合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
20億光年の孤独に
僕は思はずくしゃみをした。

谷川俊太郎19歳のときの作品だというから私は仰天してしまう。宇宙をみて孤独を感じてしまうところが思春期らしくてういういしいですが、それにしても天才は19歳の時から天才だったのですね~。

ここでいうところの「20億光年」とは、俊太郎が生まれた頃に信じられていた宇宙の年齢です。現在は「137億光年」ということになっているので、詩的にはちょっとゴロが悪いかな。

ところで、私には「スノーシューの楽しみ」も「星を見上げる楽しみ」も同じようなところがあると感じています。私にとってはどちらも「命を感じる」楽しみなのです。スノーシューは零下何度という雪の上を歩くのですから、どこにも「命」なんてありえない世界だと思われそうですが、実は冬の森の奥に、雪の上に、或は雪の下に、多くの命が躍動しているのです。キツネ、シカ、カモシカ、ウサギ、リス、ネズミ、鳥たち、テン、時には熊も・・・といった動物たちが雪の上に、木々の幹に命の痕跡を残して懸命に命を繋いでいます。その姿を見つけることはまれですが、いたるところに残された痕跡を見つけると思わず「がんばれよ」と声をかけたくなります。みなさん、冬の雪の森は命に溢れているのですよ。
一方、宇宙にも私は「命」が溢れていると感じています。私たちの銀河には1000億の恒星が光り、1000億の惑星が存在していると、現代の天文学は言っています。最近のNASAも、慎重ながら「生命」の存在の可能性に言及しはじめています。星を見上げながら、どこかの星の惑星の住人がコタツに寝転んで地球の方向をぼんやり眺めているかもしれない、と考えることはとても楽しいひと時です。広い宇宙の中のどこか、どこか知らない惑星の住人が、自分たちの痕跡を宇宙のどこかに向かって発信し続けている、と信じると、コタツDE酒がすすみます(^_^)v いつかこの目で彼らを発見してやりたいものだ、同志よがんばれ、発信し続けろ、とエールを送っているのです。
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コメント

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コタツDE星見は

コタツDE星見はまことに楽しいひとときでした。
小川のせせらぎを聞きながら、ぬくぬくのコタツに足を入れ、ほかほかカーペットに腰をあたためられていると氷点下の屋外にいることを忘れそうでした。

うまい酒を飲んで、ほろ酔いのいい気分でオーナーさんのギリシャ神話や星座などの講義を受けていて、タマシイが宇宙を彷徨っていたためか、時に発せられるオーナーさんの駄洒落にも寒くなることはありませんでした。

座布団を枕に仰向けに寝っ転がり、二千数百の星に目を凝らして流れ星を探しているうちに、ふと、ジョバンニやカムパネルラたちと一緒に銀河鉄道に乗っている錯覚にとらわれることも、「二十億光年の孤独」の詩を思い出すこともありませんでしたが、何というか、気持ちが純な子供のころに戻っていくような貴重な時間を過ごすことができました。

またペアハットに泊まり、その時はオーナーさんから様々な「命」についての講義を受けたいと思います。

いや~、あの夜は楽しかったですね
>タマシイが宇宙を彷徨っていたためか、時に発せられるオーナーさんの駄洒落にも寒くなることはありませんでした
それはよかったデス^_^;
スノーシューも二日間とも青空だったようで、最高でしたね
どなたのオコナイがよかったのでしょうか。
是非またコタツにあたりに来てください
最新のダジャレを用意して迎え撃ちたいと思います♪