老老介護・近況

見通しが少したってきました。数々の検査や面談や問診などを経て、やっとじい様は入所可能、ばあ様は入院可能な状況であるという判定が下されました。って、あのさぁ、そんなの一目で、或は1回の検査で間違いなく分かるでしょうに、どうしてこんなヤヤコシイ段階をふまなくちゃいけないの? なんて毒づいちゃいけません、おたいらにおたいらに。
で、あれこれ算段をつけてじい様は今月下旬くらいに施設に入れるようなテハズが整いました。おとなしく入ってくれるかどうかが心配ですけどね、オン出されたらその時はその時、また考えましょう。ばあ様はベッドが空いたら入院ということになりました。いつになるかは分かりませんケド。ま、しかし今までの暗中模索状態とは違って、少し霧が晴れてきた感じです。
じい様をムリに施設に入れなくても、と思ったのですが、かみさんに倒れられたらもう打つ手がないので仕方ありません。しばらくはばあ様だけを看て過ごせばいいから楽になるでしょう。

少し暗いハナシですが、ネットで誰かがこんなブログをUPしていたのでコピペします。
「東京都大田区で、87歳の無職の男性が死亡しているのが発見されたという記事を読んだ。
 老人は年金生活者で、80歳の認知症の妻と知的障害を持つ51歳の息子と3人暮らしで、買い物や食事の準備、施設の送迎など、妻と息子の介護をしていたという。先月の半ばに妻が近所の知人女性に、最近お父さんが食事しないと話し、その女性が家を訪れて、布団の中で亡くなっている男性を見つけた。死後1週間以上が経過していたという。妻も息子も老人が亡くなったことが分からなかったようだ。警察の調べでは、死因は脳出血とのことだ。」

う~ん・・・。2009年の出来事のようです。状況がまるで私と違うとはいえ、何か身につまされる思いです。そしておそらくこれに近いような状況の家族は今、日本中に溢れているのだろうと思います。介護される側の人が安心して何かのサービスを受けられるような社会の実現を政治の目標としなくてはいけないし、介護をする側の人が希望を持って介護を続けられる仕組みを構築することも政治の目標としなくてはいけません。「すべて国民は個人として尊重され」「すべて国民は 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」のです。

ともあれ、我家の方は、入所と入院という最初から想定していた一応のゴールが夏前には実現しそうでなんとかホっとしています。が、あくまで「一応のゴール」であります。じい様が退所させられ、ばあ様が退院してきたらどうするか。まだまだ不確定要素の多い、先の長い話デス。また、このままずっと入所と入院が続くとなると果たしてその費用は・・・、なんて別の心配も。

最近になって「スーパーに買い物に行く」という仕事が私の日常になりましたが、気をつけて買い物客を見ていると、きっと一人暮らしか、つれあいを介護しているのに違いない、と思われる男性を良く見かけます。明らかに「好きで」買い物をしているのではないニオイを出しています。私と同じように買い物に慣れていないそぶりが初々しく^_^;、なんとなく身近に感じられて思わず「がんばれよ」と心の中で応援してしまいます。私には健康な娘がいて、妻もそのうち戻ってくる、という希望がある。彼らワケありの男性の方々に「希望」はあるのだろうか。なんてね、余計なお世話か。悲劇体験、レ・ミゼラブル。貴方の身に起こるのは明日かもしれません。

明日の弁当 予告先発 メイン・チキチキボーン。サブ・特製卵焼き、きんぴら他数点 野菜・プチトマト ご飯・海苔とサケフレークの2段重ね。デザート・プッチンプリン 飲み物・冷たいお茶と温かいアップルティー
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