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うれしい発見

今日の新聞は各紙とも下記のニュースで湧いている。
「5000年前に大豆栽培」山梨県北杜市の「酒呑場遺跡」から出土した5000年前の土器に栽培種の大豆の痕跡が発見されたというものだ。これには驚いた。関心がなければ「ふ~ん」というニュースかもしれないが、「酒呑場遺跡」のことを少しでも知っている人達にとっては世紀の大発見と捉えられているだろう。私もその一人だ。次には「胡麻」の栽培痕も発見されるだろう、とつい勇み足で予言してしまう。そのくらい浮き足立つニュースだった。
我家から車で15分ほどの所にあるこの遺跡は、山梨県内では最大となる縄文遺跡であり、シュリーマン的な物語が秘められた遺跡でも有ることで知られている。シュリーマンとはご存知のように、ギリシア神話を信じてトロイの遺跡を発掘した人物である。
「酒呑場」という名前は昔からそう言い伝えられていた北杜市長坂町のある場所のことで、つい最近までは「田畑の仕事をするたびに瓦けなどがでてきたものだ」と地元の人は言う。
そこにはこんな昔話が伝えられてきた。
「昔、白い牛に乗った神様が、長坂上条の入沢あたりから穂見山(現在の農業試験所のあたり)に、稲の育ち具合を見回りにやってきた。そのあたりの稲作があまりにもすばらしかったので、神様は村人を招いて酒を酌み交わし舞を舞い、ひと時を楽しく過ごした」というものだ。
発掘調査が行なわれた当時、なんと土器が出てくる出てくる、しかもそのほとんどが祭祀などに使われる「酒器」ばかりだった。「酒呑場」という言い伝えの残る地域から本当に「酒器」ばかりが出土してしまったので、これには調査隊も驚いたという。
昔話は続く。
「陽が西に傾いたので、神様は再び牛にまたがってでかけた。牛が西新井の豆畑に入っていくと豆のつるが牛の角や足にまとわりついて動けなくなってしまった」
今回の「豆の発見」を予言したかの如く、昔話の中では「豆」を栽培していた。イヤその前に「稲作」も行なわれていたことが語られている。私は今日の新聞で「栽培種の豆が発見された」と報じられたことに驚きと喜びを感じたのだった。これはもう完全に伝えられてきた「昔話」の通りのことが発掘されているではないか。
昔話はさらに続く
「動けなくなっている牛の周囲で、丁度豆のさやがパチパチと音をたててはじけて飛び散った。牛は驚き狂い、つるをひきはなしてまっしぐらに走り出した。乗っていた神様は近くの胡麻畑に放り出され、胡麻の切り株で足に怪我をし、その上目まで突いてしまったので目が見えなくなってしまい、どこへも行くことが出来ず、この地にとどまることになった」
私が「次は胡麻の栽培痕が発見されるだろう」と予言したのはこのくだりに拠っている。まさに「ゴマ粒」のように小さいものなので発見は困難かもしれないが調査チームには是非がんばって欲しいものだ。
この縄文中期の遺跡は1944年に調査が開始され、いまだに継続中という県内最大級の遺跡である。6000~4000年前まで約2000年もの間、長坂の地で繰り広げられた宴。その太古の歴史はいまだ多くの謎と宝を秘め、眠っている。
なを
牛に振り落とされてこの地にとどまった神様を村人たちは氏神様として祀った。それが現在の穂見神社である。「穂見」という名前も昔話に由来している。また、このあたりでは現在でも「胡麻」の代蒔きはしないということだ。どこまでも奥深い昔話である。
前世は縄文時代に生きていたと何故か信じている私にとって、縄文時代が脚光を浴び、「考えられていたよりはるかに進んだ文化を持っていた」と知られることは嬉しいことだ。
現在の私の「酒好き」は、もしかしたらあの時神様に招かれた村人の一人だったのかもしれない、なんて想像してはニヤニヤしている。
ともあれ、このニュースの続編が待ち遠しい。
・参考資料「長坂町教育委員会刊 長坂のむかし話し」「長坂郷土資料館HP]
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コメント

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興味深いですね。

私は考古学を専攻しましたが…まじめな学生ではなかったのでそれはさておき。

考古学と民俗学は切っても切れないものだと思っています。
柳田国男の研究を、考古学として捉えることができればと。

縄張り意識が強い日本の学界では難しいでしょうが…
続編、楽しみですね。

makiさん今晩は。

>私は考古学を専攻しました
え~っ、もっと早く聞いておくんだった。考古学と民俗学に興味のある私としては、いろいろお伺いしたいことが沢山あります。
西洋では最近は「サイキック考古学」まであるようですから、日本もホントに縄張り意識を捨てて取り組んでもらいたいですね。