秋に歩けば・・・。
Just Walking In The Fall♪

前方のもじゃもじゃは皆すすきなり
(^_^.)
これは歳時記にのっているれっきとした俳句です。
楽しいですね~、今日はこういう道を歩いてまいりました。
13日に行われる「第一回八ヶ岳・棒道大会」のコース下見ウオークです。
桂の並木道

桂のハート型の葉からでる甘い香り、ご存知でしょうか
焦がしキャラメルのような甘く香ばしい香りがあたりにただよって、
一瞬、しゃれたカフェテラスに迷い込んだような気になります。
秋のウオーキングは五感が楽しい。
良い公園でしょ♪ 我が家のすぐ上にあります(*^^)v
途中で発見した看板
「おじさん、いつも心してくださり ありがとう」と書かれた野の立札・・・。
これには物語がありました。

この空き地では、最近まで一人のお爺さんがいつもたき火をしていました。秋には落ち葉を、冬には間伐材を 春にも夏にも刈り取った小枝や草を燃やして、空き地をきれいにしておりました。小学校の通学路ともなっていましたので、子どもたちは毎日挨拶をして通りました。夕方、心ぼそい思いで家路を急ぐ子供達には、いつも温かく声をかけておりました。「気を付けて帰るんだよ」「今日はほうとうかな」なんて言っていたかもしれません。村の寂しい通りなので、そんなお爺さんの存在は、子供たちにも心強く、子を持つ親たちにも頼もしく安心できる存在でした。お爺さんは一人住まいでした。たき火が趣味だったわけではありません。子供たちとの交流が楽しみだったのです。冬の下校時、たき火を囲んでお爺さんの焼き芋を喰らい、道草を食う子供たち。きっと沢山の物語が産まれ、沢山の想い出をもって卒業していった子等も多かったことでしょう。
そんなお爺さんが今年亡くなりました。空き地は寂しくなりました。たき火の煙はもうあがりません。しかし、いつのまにかこの空き地には、こんな立札が立てられていたのです。誰が立てたのかは知りません。でも、誰もが知っています、この立札の意味を・・・。お爺さんありがとうありがとう。「ありがとう」と2回書かれた立札が、お爺さんを知っている皆の想いを代弁しています。
登下校時に声をかけるお爺さん、元気な声で応える子供たち。そんな場面がまぶたに浮かびます。なんだか良寛さんと村の童たちの交流のような物語を聞いて、しみじみここでの暮らしを誇りに思いました。
「この里に手まりつきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし(良寛)」きっとこんな気持ちで子どもたちと交流していたのでしょう。お爺さん、どうぞ安らかに。
という秋の道・・・。
こういう感動との出会いがあるので
歩くことは、やめられません。

前方のもじゃもじゃは皆すすきなり
(^_^.)
これは歳時記にのっているれっきとした俳句です。
楽しいですね~、今日はこういう道を歩いてまいりました。
13日に行われる「第一回八ヶ岳・棒道大会」のコース下見ウオークです。
桂の並木道

桂のハート型の葉からでる甘い香り、ご存知でしょうか
焦がしキャラメルのような甘く香ばしい香りがあたりにただよって、
一瞬、しゃれたカフェテラスに迷い込んだような気になります。
秋のウオーキングは五感が楽しい。
良い公園でしょ♪ 我が家のすぐ上にあります(*^^)v
途中で発見した看板
「おじさん、いつも心してくださり ありがとう」と書かれた野の立札・・・。
これには物語がありました。

この空き地では、最近まで一人のお爺さんがいつもたき火をしていました。秋には落ち葉を、冬には間伐材を 春にも夏にも刈り取った小枝や草を燃やして、空き地をきれいにしておりました。小学校の通学路ともなっていましたので、子どもたちは毎日挨拶をして通りました。夕方、心ぼそい思いで家路を急ぐ子供達には、いつも温かく声をかけておりました。「気を付けて帰るんだよ」「今日はほうとうかな」なんて言っていたかもしれません。村の寂しい通りなので、そんなお爺さんの存在は、子供たちにも心強く、子を持つ親たちにも頼もしく安心できる存在でした。お爺さんは一人住まいでした。たき火が趣味だったわけではありません。子供たちとの交流が楽しみだったのです。冬の下校時、たき火を囲んでお爺さんの焼き芋を喰らい、道草を食う子供たち。きっと沢山の物語が産まれ、沢山の想い出をもって卒業していった子等も多かったことでしょう。
そんなお爺さんが今年亡くなりました。空き地は寂しくなりました。たき火の煙はもうあがりません。しかし、いつのまにかこの空き地には、こんな立札が立てられていたのです。誰が立てたのかは知りません。でも、誰もが知っています、この立札の意味を・・・。お爺さんありがとうありがとう。「ありがとう」と2回書かれた立札が、お爺さんを知っている皆の想いを代弁しています。
登下校時に声をかけるお爺さん、元気な声で応える子供たち。そんな場面がまぶたに浮かびます。なんだか良寛さんと村の童たちの交流のような物語を聞いて、しみじみここでの暮らしを誇りに思いました。
「この里に手まりつきつつ子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし(良寛)」きっとこんな気持ちで子どもたちと交流していたのでしょう。お爺さん、どうぞ安らかに。
という秋の道・・・。
こういう感動との出会いがあるので
歩くことは、やめられません。
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