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新年の挨拶に。

家族4人でお爺ちゃんとお祖母ちゃんの入っているホームへ新年のご機嫌伺いに出かけた。二人の症状は違うので別々のホームだ。まずは爺ちゃんに御挨拶。残念ながら我々4人が誰だかはもう分からなくなっている。しかしかみさんは頻繁に、私はたまにだが会いに来ているので、特に違和感がないらしい。由佳と梨絵については完全にどういう関係の人間だか分からなくなっていた、が、私たちと一緒なので、にこやかに応対してくれた。昨年あれだけ逃亡を企てたり色々なことをやらかして、どうなることやらと周囲をはらはらさせた人とは別人のように、おだやかでやさしい笑顔の人になっていた。話はちぐはぐだが、ウンウンと返事をしていると、しゃべりたいことをどんどんしゃべってくれる。仕事一筋で真面目な生き方をずっと通してきた人らしい話が飛び出る。お爺ちゃん、もう何も心配しないでゆっくり過ごしていいんだよ、と言っても、本人はまだまだ仕事がしたいらしい。食べるくらいは稼がなくちゃな、なんて言っている。頼もしいなぁ。私が認知症になったらそんなことを言うだろうか? 呆けたとはいえ言葉の端々に往年のお爺ちゃんらしい雰囲気の表現が出ていて、懐かしかった。私たちが誰だか分からなくても、帰り際は一緒に帰りたかったらしかったが、ホームの出口の扉のところで職員のかたにうまくごまかされて連れて行かれたのが、いつものことながら可哀そうだった。
お祖母ちゃんは体の具合がわるいのだが、頭ははっきりしているので当然ながら由佳のことも梨絵のことも分かっていて、会いに行ったらお年玉をくれた。「帰りにどこかで夕食を食べて帰るんだろ」といって、私たちにまでお金をくれた。ありがたく受け取った。家で療養していた頃とは格段の差で、ベッドの上に起き上れるようになったばかりか、杖をつかって少し歩けるようにまでなった。体を自分で動かすことが出来れば体力の回復は早いだろう。言葉がうまくでないようだが、笑顔がでていたので、これも安心材料だ。
様々な老後がある。様々な病状がある。様々な家族がある。お爺ちゃんお祖母ちゃんは幸せなのだろうかと思いながら帰ってきたが、現状はこれで私たちのできる精一杯なので許していただく他はない。娘たちは「人が老いていく」姿を見て何を感じただろうか。

避けて通れない人生の根本問題「人は何故生まれ、ひとは何故老い、人は何故病み、人は何故死ぬか」という「生老病死」を四苦だと仏教では説くが、「苦」という言葉を使うところに違和感があるなぁ。生老病死は自然のリズムに過ぎないのではないか。生者必滅・万物流転の考え方からすれば生老病死もまた自然。こだわらず従って新しい命に次を託すのが自然なのではないだろうか。なんてなことを漠然と考えながら帰ってきた・・・。
呆けていようといまいと、お二人からはそれぞれのそれまでの人生を感じさせるオーラが出ていて、人としての尊厳とでもいうようなものが感じられた。結局のところ、自然に従って尊厳を失わないのが人間というものではないのか、と思えた。今日という一日、お爺ちゃんお祖母ちゃん、そして全てに感謝。
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