スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

パブリックコメント

北杜市が景観計画についてパブリックコメントを求めている。
今日が締め切り。私には景観計画について具体案はないが、これ以上この美しい風景を壊されてはたまらない。たぶんに精神論的な内容になってしまったが、言わずにはいられない。下記のような文章を送っておいた。果たして理解してくれるだろうか。
hoktohp600.jpg

■北杜市のHPのTOPページに書かれた「山紫水明」「山々から、自然が語りかけてくる」という文言がいずれも白々しく聞こえる現在の北杜市内の景観の変容ぶり。また、HPに掲載されている「市長のあいさつ」の文言も、自然環境と自然景観のすばらしさに言及されており、現在の風景の変容ぶりと全くマッチしていない。「山紫水明」という考え方はどのように具体化され実施されているのか。
言うまでもなく、北杜市の景観は日本でもトップクラス。地球内部の四つのプレートがせめぎ合いながら形作ったもの。富士山から八ヶ岳の山岳風景は世界的にも稀有な眺望を誇るものと市民は誰もが知っています。そして私たちの身近な森や里や田園の風景もまた、自然と先人たちがせめぎ合うように獲得した知恵と技の成果です。風景にはものすごい情報が含まれています。五感に訴えて、人々の肉体や意識の形成にまで働きかけています。郷土の食べ物や信仰や芸能なども、風景と密接に関わっているのです。そしてそれらは風土へと深化していきます。風土とは地域遺伝子です。人は風景の子供。人はその風景の中に生まれ育ちます。
今、当市では、風景が荒廃しようとしています。遺伝子が失われようとしているのです。そこからは地域にふさわしい人も文化も知恵も生まれません。先人たちの知恵がもう伝わらなくなっていくのです。風景の荒廃は北杜市と、そこに住む人々の生活と精神の荒廃を招くことと同列です。
日本の神様は山と森に住んでいます。「山々から自然が語りかけてくる」とは、まさに「神様が見守っていて下さっている」ということに他なりません。その山と森を切り開いて不自然な人工物を建てることは、美しい景観を壊すだけでなく、郷土への思いを破壊され、暮らしの基盤が崩されていくことに他ならないのです。誰がそんな町に住みたいと思うのでしょうか。これ以上の荒廃を食い止めて欲しいと、心から訴えます。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

No title

いいね
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。