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200人で登山?

北杜市内の幾つかの学校では「学校登山」といって生徒達に故郷の山「八ケ岳」を登山する行事を行なっている。良い事だと思う。また、飯盛山は年中県外から遠足や林間学校で訪れる生徒達で賑わっている。良いことだと思う(遭遇しちゃうと少しイヤだけどネ)。私も小中学生の頃父に連れられ山に登り、多くのものを得たと確信している。子供らよ、書を捨てろ、山に登れ♪
さて、昨日今日と私は県外のある中学校の先生を案内して、ハイキングコースを歩いた。来年の林間学校の下見である。で、ハタと悩んだ。来年私は200名を案内して山を歩くのである。え?200名? 私は自分がそんな大人数を連れて山を案内するなんてことは想定していなかったので、いままで深く考えていなかった。団体登山の限界って一体何名くらいなのだろうか? 果たして200名なんかで山を登っていいものだろうか??? バス6台で来るとおっしゃる。まぁ山といっても飯盛山だが・・・。飯盛山ならいいのか??? 学校行事なら許されるのだろうか??? 
もし中高年オバオジ軍団だったらバス1台分でさえ間違いなく顰蹙を喰らう。「ケッ、なんじゃい、こいつら」というような捨てゼリフがすれ違いざま聞こえる。それが生徒達だとまぁまぁ許されるという風潮がある。「かわいいねぇ、がんばってネ」なんてエールを送るオバさんもいる。まぁ、そういう生徒たちはたいていは「山」ともいえない「山」のハイキングコースで遭遇する場合が多いので、あまり目くじらを立てられない、ということもある。
しかしくどいが「山ともいえない山のハイキングコース」なら200名で歩いてもいいのか??
来年の予定は、一日目が「美し森~県営牧場~川俣渓谷~美し森」、二日目が飯盛山。まさに「山ともいえない山のハイキングコース」である(と言っては「飯盛山」に失礼か? 一体どの程度の「山」までなら許されるのだろう?)。案内人の人数やサポート体制云々の問題の前に、単純に「それってどうなの?」という疑問である。
で、
率直に先生に聞いてみた。先生もさすがに分かっていた。林間学校では本来なら学級ごとやグループごとに分け、色々なことに挑戦させてみたい・・・、のだが、引率する先生方の人数や実力が追いつかない、と本音を語ってくれた。普段聞けない話だった。聞けば聞くほど今の学校現場の状況、教師達の置かれた立場、教員志望の若者たちの苦闘などなどの事柄に思わず涙(嘘)。それでも生徒達に「自然体験」や「がんばる体験」等をさせたいと模索する熱血教師たち。う~~む・・・、「200名で山を歩く問題」の前に、学校には学校の「解決しなければならない問題」が様々に山積しているのだった。
こういう時の私の結論「ま、いいか」。
よく調べないで書くのだが、おそらく200名からの人数で山を歩く行事をやるような国は世界中で日本だけではないだろうか? それならそれで、それが「日本らしくていいじゃないの」ということにしましょう。「集団帰属意識を育て」「根性と助け合いの精神を育み」「同じ体験を共有する」それで、ま、いいじゃないですか、今日の所は。
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コメント

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お久しぶりです。
お~集団登山ですか。
懐かしいですね~。
長野県では集団登山は普通に行われています。
中学生になるとアルプスに登るんですよ。
私の卒業した学校は北アルプスの燕岳を約200名で登りましたよ~。
と言っても私はバス酔いがひどくて、中房温泉に置いてきぼりにされましたが・・・・
(^^;)

遅れてきた少女様
そういえば私も中学のとき丹沢を学校で登りました。
日本には修験道や信仰登山という伝統(?)があるので、学校で集団登山をするのは「心身の鍛錬」と考えられているので認められているのですね、きっと・・・。そこへいくと、現代の募集旅行でバスで来る団体のオバサンやオジサンの山のグループは、修行や鍛錬という大義名分がないから疎まれるのでしょう・・・?しかし山は大勢で登るものじゃない、という理屈は一体いつからどういう理由で発生したんだろうか。富士講だって町内の大勢で繰り出し、団体で登ったワケですし。明治時代にスポーツとしてのアルピニズムが入ってきたあたりから価値観が変ってきたのかな?
単純に「うるさいからダッ!」というのはまぁひとつの正解ですね。ホントに団体の中高年というのはうるさいですから。そういうのと山で遭遇し、気分を害したヒトが世の中には無限にいます。「オーバーユース」なんていう問題とは別のところで、感情的に「疎まれている」ことは確かですね。
「まぁいいか」
私はきっと募集旅行の登山には参加しないし、山で団体さんと遭っても別にそうイヤでないので。