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保阪嘉内

藤沢からのウオーカー18名を案内して清里樫山の「三社まいりの道」を歩いた。
ここもしょっちゅうお客様をご案内する私の大好きな道だ。なにより「賢治と嘉内」の話を思いきりできるのが良い。賢治の「風の又三郎」の初稿に「風野又三郎」があるが、ここに八ケ岳が出てきます。韮崎の保阪嘉内は盛岡の学校で賢治と出会い、賢治生涯の友人となる。音楽の話、農業の話し、星の話などについてお互い語り合う仲になるが、そん話の折、嘉内は年中八ケ岳の風三郎のことを話したと思われます。嘉内がしょっちゅう「風の三郎」のことを話すので賢治はさすがに「又、三郎の話か」とあきれて後に「又三郎」になったと、賢治評論家の第一人者天沢退二郎が推理して書いている。
今日のウオーキング中にそんなことを解説しながら歩いていたら、参加者の中に花巻出身の方がいて驚いていた。花巻や岩手ではそんな話を聞いたことがない、というのだ。ちょっと怒っていたようだ。そうでしょうそうでしょう。現地では賢治さんは神様ですから、その神様に影響を与えた人がいたなんてとても考えられません。頭から信じないのです。

ウオーク後酒を飲みながらジックリと話すと少し納得してくれたようで「花巻の宮沢賢治記念館では保阪嘉内のことをどう扱っているか確認してみたい」と言ってくれた。「帰ったら嘉内のことを調べてみます」と納得もしてくれたようで一安心。
しかし岩手の賢治ファンの間に嘉内のことがまるで知れ渡っていないようなのは賢治学会の怠慢ではあるまいか。先日テレビの「お宝探検隊」(だったっけか?番組名を忘れた)で保阪嘉内のご子息「保阪康夫」さんが提出した「賢治からの手紙約80通」が確か億の値段をたたき出していた。賢治の手紙はそのくらい価値のあるものだということだが、賢治と文通した嘉内の役割にもそのくらいの価値があると思われます。学会はもう少し嘉内のことを調査研究してくれなくちゃ、と山梨の賢治ファンは思うのです。
そうだ、山梨で「保阪学会」を作ればいいんだ!

ま、それはそれとして、三社まいりのコースを紹介したHPをご覧下さい。
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