FC2ブログ

新説・万治の石仏

万治の石仏といえば岡本太郎が紹介して以来人気となった石仏で、今では諏訪の観光名所の一つとなっています。この石仏にまつわる謎が多すぎるのです。興味ある方は検索すればたちどころに幾つかの紹介ページが出てきます。お馴染みの説もへ~よく調べたなという説も多い。
万治の石仏はその石に「万治三年十一月一日」と刻まれていることから命名されました。万治三年とは西暦1660です。また、石には「願主 明誉浄光 心誉廣春」と刻銘もされています。この2人は誰だったのか、というのが謎の一つです。僧籍にも見当たらずどこにも記録がない。長い苦労の果てに「宮島潤子」という方がこの2人が誰なのか解き明かしました。それによると、尊敬する師の50回忌(万治三年)に明誉、心誉という無名の2人が作ったのだろう、という結論をだされました。しかし、この石仏の頭部が「日本の石仏」にしては相当違和感のある事実に触れておりません。この石仏の表情こそ、謎の最大の焦点なのです。
石仏の顔をよ~くごらん下さい。この石仏は阿弥陀様とされておりますが、一体この顔のどこが阿弥陀様なのでしょうか。私には思慮深い西洋人の顔立ちのように思われてなりません。
mannjisekibutu.jpg
私は「万治の石仏の謎」に「万治の石仏は隠れキリシタンが作った」という新説を掲げて、論議に参戦してみようと思うのです。
といっても、これは私が思いついた新説ではありません。諏訪文学という会誌に掲載された文章をたまたま見せてくださった方がおり、大いに感銘して私も同意しただけの話です。まだ著者の同意も得ていないので詳しい紹介は避けますが、触発されて私なりに調べたところ、飯田城主が京極氏だったころ(1600年代前後)高遠はキリシタンの拠点だったということが分かりました。この石仏は高遠の石工が作ったとされていることから、キリシタンの石工が作ったものとしても不思議はありません。著者によると明誉浄光のクリスチャンネームまで調べ上げていますが、出典が不明なので要確認です。石仏にはキリシタンものとでも呼ぶべき一群があります。俗に子安観音などという「子供を抱いた観音様」がそうです。全国各地に見られますがこれは明らかにマリア信仰であるとされています。キリシタンに詳しい石工が全国に散らばって従来の石仏の姿から見ると異形な石仏を作り始めました。中には、馬頭観世音で頭部が3つもあるようなのは「三位一体」を表現している、なんていう説もありますがこれは眉唾と見て慎重に検討しなくてはいけませんが・・・。
ところであらためて万治の石仏の頭部に注目してみると、頭に被っている帽子のようなものがどうもカトリックの神父さんが被っているもののように見えませんか?
katorikku.jpg
う~ん、やっぱり諏訪は不思議だらけだ。
この項続きます。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

へぇ~。そうなんですか?面白いですね。実は先日、願いごとを言いながら周囲を歩いたばかりです。最後にアーメンって言うべきでしたね。

ポッポさん、今晩は。
立て札に「3回廻ってよろずおさめました、と御願いすること」というような内容の「お参りの仕方」が書いてありましたね。私も廻ってしまいました(~_~;) しかしあれはつい近年になって誰かが立てたものでまるで意味が無いものと私は思っています。ので、最後にアーメンでもエロヒムエッサイムでもいいのです(*^^)v 「万治」ですから「よろずおさめる」とはかなりの知恵者です。褒めてあげたいくらいです。

え~っ!?無事に移住ができるようにお願いしたんですが…でも不思議話は好きなので、「まぁいいか」ってことにします(^_^;)

そっか、ポッポさん、移住の件を御願いしたんですね・・・。
移住といえばこの地区は昔から「開拓」の方々の入植によって
今日が築かれた歴史があります。
その方々によって建立された開拓神社というのがありますから
「移住願い」ならば「開拓神社」に願うのがいいかもしれません(ホントカ!?)
今度近くに行ったついでにポッポさんの代わりに願をかけておきますネ。