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富士 VS 月見草

「富士には月見草がよく似合う」と書いたのは太宰治。「長島がひまわりならオレは月見草」と呟いたのは野村(現監督)。言葉としては野村監督の呟いた文句の方が心に響くし、言いたいことも伝わってくる。私は堕罪の、あ、「だざい」を変換して「堕罪」と出ることを初めて知った!。ま、それはともかく、太宰の名(?)文句が一体どうしてこんなに世に広まったのか全く見当がつかなかった。「富士に月見草が似合ったからといって、それがどうしたの? マツムシソウじゃいけないの?」と疑問だった。世の人は皆、本当にこの文句に納得しているのだろうか、と長年疑問だったが、本日晴れました♪

山梨日々新聞社刊「歴史と自然 甲州の峠」という本。借り物だがナカナカやりますなぁこの本。全編詩的かつ知的な興奮を与えてくれる。「山と本」好きの万人に読んでいただきたい名著だ。平成6年に発行されたのに既に絶版というのがイタイ。山梨日々新聞社も宣伝がヘタだなあ。こういう名著は即刻復刻すべし。

で、本題に戻る。その本から引用します。太宰は昭和13年9月から約80日間、御坂峠の天下茶屋に滞在した。件の名文句はその時の体験がもとになっているが、太宰がその当時どんな状況にあったかというと
昭和10年 3月鎌倉山にて自殺を企て失敗 4月腹膜炎で入院 8月芥川賞候補に挙げられるも次点
昭和11年 2月パピナール中毒症で入退院を繰り返す。 7月芥川賞候補、再び落選。
昭和12年 3月妻と水上温泉に行き自殺を企て未遂。帰郷後離婚
まるで死神と同居しているかのような太宰の姿が浮かび上がってくる。かさむ借金。そうした一切のこれまでの生活に絶縁するのが、この旅の目的だった。すすめたのは井伏鱒二だ。

河口湖町から天下茶屋に帰る途中のバスの車内の出来事である。
「60歳くらいの、私の母とよく似た老婆」がぼんやりとひとこと「おや、月見草」そう言って、細い指でもって、路傍の一ヵ所を指差した。さっとバスは通りすぎてゆき、私の目には、いまちらっとひとめ見た月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。3778メートルの富士の山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんというのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には 月見草がよく似合う。
有名な富嶽百景の場面である。
これを著者はこう解説している。

車掌が「富士が見える」というので車内がざわめいた。しかしその母に似た老婆が、富士と反対側の車窓をながめてふと「おや、月見草」と呟いたのである。天下茶屋に滞在していた頃、太宰はきっと巨大なものと対決していたのだろう。それは世間でもあり、彼自身を含む一切のものであったかもしれない。「母に似た老婆」は「おや、月見草」と呟いてくれたのである。富士とけなげに対峙していた月見草を認めてくれたのである。

ふ~む、なるほど。「富嶽百景」は高校生の頃読んだ記憶があるが、そこまでは読みきれなかった。巨大な富士と対峙する月見草を「得体の知れない何か巨大なもの」と対峙しなければいけない自分と重ね合わせたのですね。「すくっと」立っていれば認めてくれる人も現われる、そのことに太宰は気がついたのでしょう。自分もあの月見草のようにならなければ、と誓った瞬間だったと思います。それが分かると「富士には月見草がよく似合う」という名文句が大変力強く意味深いものとして腑に落ちます。

長年頭の隅にあった疑問が、このように本を読んでいてポロリとウロコが落ちるように氷解していく瞬間というのは大変嬉しいものです。著者の和泉定廣さんに感謝。
私は太宰ほど深刻で巨大なものを抱えていないが、今度富士登山をするにあたって、自分と富士を対峙させ、「すくっと」歩けるか挑戦してみよう。
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