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清春今昔

長坂町郷土資料館と一緒に「民話ウオーク」を行ないます。
実施日は9月9日(日曜日)9:00長坂町郷土資料館集合
弁当水筒持参。参加費300円
問合せ0551-32-6498長坂町郷土資料館
本日下見を行ないましたが、清春はいいところですね~。
清里とよく間違えられるそうですが、武田以前からの歴史も残る
由緒ある田舎(?)のたたずまいが心を和ませます。
「四季の道」という不思議な遊歩道があります。最近完成した道ですが、この道はどの資料にも「四季の道」と記されておりません。遊歩道を作るときに最初の会議から参加したという関係者に聞いても知りません。「一体いつ誰が言い出したんだろうなあ」と首を傾けています。なのに「清春四季の道」という名前で通っています。
正式には「大深沢川遊歩道」といいいますが、四季の道の方が親しみやすいし覚えやすいですね。
こんなエノキの残るオオムラサキの飛び交う道です
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郷土資料館の行なうウオークですからさすがに調査も慎重です。
途中で民話の説明をしながら歩く予定ですが、その裏づけ調査も行なっています。
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この洞穴をご覧下さい。戦国武将「真田家」にまつわる悲話が伝わっています。
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今は清春芸術村になっている地は昔清春小学校でした。
その校歌が歌碑に残されていました
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その他もろもろ、なかなか楽しいウオークとなりそうです。
皆様ゼヒご参加を。
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コメント

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お教え下さい。

初めまして。大坂在住の山北と申します。
洞穴の写真のところに、戦国武将「真田家」の悲話が伝わってるとの事ですが、もしよろしければ、その詳細をお教えいただけないでしょうか?よろしくお願いします。

山北様、書き込みありがとうございます。ご期待にそえるかどうか分かりませんが、「長坂のむかし話」に収録されている物語をかいつまんでお話いたします。
・いつの頃からかこの洞穴のあるあたりは「姥が懐」(うばがふところ)、この坂は「赤子坂」と呼ばれるようになりました。
・ある夜、旅人がこのあたりを歩いていると、どこからか赤子の泣き声が聞こえてきた。恐ろしくなった旅人は急いで村へとかけあがり、そのことを村人に話した。すると他にも何人か赤子の声をきいた者があるという。騒ぎが大きくなったので村の若者たちが、この声の主を突き止めようと毎夜この洞穴付近を見回った。しかし赤子の声はきこえるが、ついにその姿は見えなかった。ただ、洞穴の中にはかすかに炭火の跡が残っていたという。
やがて、だれ言うともなく赤子について村内には次のようなうわさが持ち上がってきた。
・信州大河原の豪族に使われていた姥は、主家の滅亡に際し主人の最期を見届けた上、託された一人の子を伴い辛うじてその場を落ち延びてきた。しかし乳飲み子を抱えての慣れない旅路であるから、どこというあてもなく追い来る敵を避けて、この洞窟に身をひそめた。そして泣きしきる赤子をなだめ食を求めつつ主家再興の機を窺っていたのである。
しかしついに最期の時が来た。
ある秋の夜。突然この子を奪われた姥は狂気したように東の坂道に消えていく赤子の声を追って行ったが、まもなくして草深い深沢路の闇に青ざめた姥の顔が現われた。髪を振り乱し、全身泥にまみれて茫然自失した姥はやがて思い出したように、折から水かさの増した深沢川に身を投げた。
その後も寂しい秋雨の夜などには深沢の谷間に赤子の泣き声と、それをなだめすかす姥の声とがすすりなくように聞こえた、という。
・この物語中、信州大河原の豪族というのが「真田家」である、とこの地域には伝わっている。
というお話です。
わかったようなわからないような話ですみません。