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八ヶ岳の石柱

天女山から三ツ頭へ登山した際、標高を標した石柱を何本か発見した。
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この石柱は標高100m毎に建てられているが、基点はなんと静岡県の海辺だそうだ。そこから身延線、中央線、小海線と線路伝いに八ヶ岳への道案内も兼ねて建てられている。紛失したものも多いが、現在一番多く見学(?)できるのが権現岳へ向う大泉からの登山道上だと思われます。
誰が何のために建てたかといえば、早い話戦時中の「国威発揚」の為である。昭和15年は紀元2600年と教育勅語発布50年の重なった記念すべき年であるとして、甲斐八ヶ岳会会長「坂本増次郎」が県下の小学校から寄付を募って建てた。坂本氏は県教育界の重鎮であったというから寄付を頼まれればイヤとはいえなかったでしょうね。石柱の1面に標高、2面に賛助小学校名、3面に教育勅語の文字が彫られている。ただ、紀元2600年なので、八ヶ岳の海抜は2899mであるにも関わらず、石柱は2600mまでであるのが愉快と言えば愉快(?)。もっともその後年々継続して全山に設置したいと願っていたようなので、探せばどこかに標高2800mがあるかもしれない。また、これとは別に沿線駅を岳麓駅として、駅の標高を彫った石柱が置かれた。我家の近くの甲斐小泉駅前にもあります。甲斐大泉駅、清里駅、さらには長坂駅、日野春駅にもあり、韮崎駅にもあったはずだという。近年大泉町の有志がこれらの石柱に着目し、調査し記録に留めているが、石柱については1990年の月刊雑誌「山と渓谷」に山行紀を寄稿した元共産党書記長不破哲三の文章が面白い。
題は「権現岳-八ヶ岳最後の峰に挑戦」という。不破氏は山好きで有名だが、八ヶ岳にも1983年から登り始め、主な峰として最後まで残った権現岳についに登る機会を得た、というワケでその顛末を寄稿したのだった。石柱についての部分を引用すると長くなるので要約すると、その石柱を発見した不破は言下に「戦時下のこんな遺産がいまだに八ヶ岳に残っているとは」と「軍国主義による自然汚染のあとに文句」を言いながら登山を続けている。「軍国主義による自然汚染」とはさすが共産党書記長、小気味が良い。私としてはこの石柱の評価は後世に委ねるが、実際登ってみると、味気なく苦しい登山道で100m毎の標識を見つけることは励みにもなって、助かったことは事実であります。

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