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清里今昔

本日は「清里開拓の道」をご案内して歩きましたが、時あたかもカンティフェア真っ最中。というより、あえてカンティフェア真っ最中の日と時間に合わせて組んだウオーキングだったんですけどね。参加者は少なかったけど大変良かったと感じました。
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スタートは丘の公園。爽やかな秋の日のウオークに皆さん笑顔でっ放し♪
2km程歩いた所の「興民館」に上がりこみ、清里開拓の物語を広めた「山田」さんに、当時の御話を伺いました。「興民館」の「興」の字は開拓の恩人「安池興男」さんの名前からいただいたものです。時間がなくたった20分間のお話で山田さんには申し訳なかったですが、何時も通りの愛情あふれる熱弁をふるっていただいて、感謝。今はリゾート地として観光客の歓声が響く清里も、全ては70年前の開拓の方々の血と汗から始まったのだと知れば、訪れる方々の清里への眼差しも少し変るはずです。もっともっと多くの方々にこの話しは知って貰いたいものだとあらためて思いました。
当時の「分教場跡地」なども通りながら往時のことなどに思いを寄せていると、突然華やかな場所に到着しました。萌木の村です。
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ハロウィン仕様になって賑やかな萌木の村は、開拓2世の舩木社長が往時の精神を引き継ぎながら、清里を現代のリゾート地へと引っ張りあげた歴史と伝統ある観光施設です。この賑いを知らず亡くなっていった開拓の方々も大勢いらっしゃいます。そういえば「安池興男」さんは県のお役人ですが、開拓の方々の面倒を見ている最中に、上司から栄転の話しがありました。ところが「今、私がこの方々を見放したら、一体清里とこの方々はどうなるのか」と言って、栄転話しを断ったそうです・・・。そのおかげで清里は現在私達が知る豊かな地になったのですが、安池さんもいつまでもこの地の方々に愛され、本来の出身地が静岡県であるにも関わらず、清里の地にもお墓があり、開拓の方々と共にこちらで安らかに眠っておられます。
一つの秘話があります。上司から伝えられた「栄転の地」とは「広島」だったそうです。もしあの時栄転の話に乗って「ヒロシマ」に赴いていれば、果たして安池さんに一体どういう運命が待ち受けていたでしょうか・・・。まことに天の神様と言うのは不思議な計らいをいたします。
そんなことを感じながら私達はカンティフエア会場に突入。
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あれま、愛ちゃんもいる、あずみちゃんもいる。今日の会場全体を象徴するような陽気なブースは萌木村のブースでした。このお二人は勉強家なので当然清里の歴史は知っていますが、2日間で4万人とも言われているこのフェアの参加者の何名が知っているか、私は興味がありました。素晴らしいお祭りなのですが、そもそもこのお祭りはどういうことから始まったのかということをもっと知らせる「努力」があってもいいのではないか。祭りの参加者はただ広場に座って飲食をし、舞台で行われる何かを見るともなく見ているだけなので、幸せそうなんだけどなんだかもったいないなぁと、思ったのです。
もっとも、楽しければいいお祭りなので、お祭り当日にカタイことやってもシラケル、というのであれば、日頃から清里ではもう少し開拓の二人の恩人をアピールする何かを小さくとも継続して行っていくといいなぁと思うのです。なので、私はしつこいくらいに「清里開拓の道ウオーク」を開催し、人を案内して歩いているのです(~_~;)って自分の宣伝になってしまいましたm(__)mガハハ笑って許してネ。でも今日は山田さんの熱弁もあったおかげで、本当に清里の今昔を見せていただき、有意義な一日となったのでした。カンティフィエア当日にぶつけてよかったなぁ。来年もやろっ。山田さん、そしてご参加下さった皆様、ありがとうございました。
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コメント

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実は私も同じ事を考えていました。
ポールラッシュ祭~八ヶ岳カンティフェアには、清里宣言と言うものがあるのです。
さっき、その文章を読み返していました。

清里の歴史も本当に厳しいものでした。
その昔、あの土地で、苦労されていた方に想いを馳せたい。

清里宣言のこと、またブログにアップします。

愛ちゃんも同じこと考えてましたか・・・。
キープにいた時から考えてた?

「清里宣言」ってどんなのでしたっけ。
ブログ期待してます。