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胡散臭い「生物多様性」

「生物多様性」この不思議な造語を聞いたときはなんと胡散臭い言葉なのだろうと思った。「何を今更言い出すのだろう」と思った。多分去年の今頃のことだった。そして今行われている生物多様性条約会議のニュースを見て、ますますその思いが深まった。会議で話し合われていることは「採算の多様性」でしかない。私は多様な生物が生存する権利を確保する為の会議だと思ったが、各国の利権の確保を論争する会議だったことが分かって、胡散臭いと感じた私の直感があたってしまったのかと思い、ちょっとやるせない。
思い出して本棚から2009年秋号(季刊誌)発行の「考える人」(新潮社)を取り出した。あったあった、養老孟子氏が少しそのことについて書いていた。それによると、そもそも「生物多様性」に対する共通の定義は存在しないのだそうだ。定義が存在しなければ共通概念も存在しない。その造語が意味するところの真実は誰も知らないのだ。こういうあやふやな言葉を使って会議をしようと言うのだから、当然あやふやな中身になるのは分かりきったことだ。「言葉が一人歩きしている典型かもしれない」と氏は書いている。セキリュティーが完璧に保障されたビルの、ゴキブリもハエもカもいない室内で「生物多様性」について論じる。その危うさ。
穿って考えれば「生物は多様性を持つものだから、多少人間が利便の為にその一部をいただいても、自然界に大した影響は与えない」という合意を出すための会議ではないのか、とさえ疑われる。
もう1年も前の雑誌に「生物多様性と採算性」というテーマで記事を書いていた養老孟子氏の眼力はさすがだ。
さて、この会議がどのような形で今後展開していくのか、楽しみに見張っていることにしましょう。
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