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「日本国憲法自民党改正草案ナナメ読み」 基本的人権と幸福追求権

■うっかりFBにUPしてしまったこのシリーズ。私自身のオボエの為の記事でもありますので、こちらにも貼り付けておきます。

今更ですが、確認しておきます。「国民の生活が大事だなんていう政治はですね、私は間違っていると思います」と発言した稲田朋美議員の考え方は、自民党全員の考え方です。稲田議員だけが発狂している訳ではありません。その証拠が憲法改正自民党草案です。一読されたでしょうか?「基本的人権」がバッサリ削除されていますので、ご確認下さい。
現行憲法第十章 最高法規 第九十七条 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
この堂々たる最高法規宣言をバッッサリと削除し、改正草案では、第三章 国民の権利及び義務 第十一条、第十二条で、「基本的人権は権利として有するが濫用してはならず、権利には責任と義務が伴う」という意味の稚拙な文章を書き加え、正体を現してしまっている。
一事が万事、自民党改正草案の文言は「俺様の言うことが正しいのだから、大人しく従っておれ」という政権側からの一方的な意欲(?)の押しつけに満ちていて、憲法の体をなしておらず、品がない上に、とても恥ずかしい。

■という記事をUPしましたら、読者の方から下記のような質問を受けましたので、私の回答(?)と共に下記にコピペしておきます。
【質問】勉強不足でお恥ずかしいのですが、改正草案では、13条の幸福追及権はどうなってるのでしょうか?個人的には、今の憲法の中で、誇るべき条文の一つだと感じているのですが…。
【回答】13条を読み比べてみたら、何気なく読んでいると、あまり変わっていないように見えます。 現行憲法では「(前略)生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り(中略)最大の尊重を必要とする」とあります。自民党草案では「(略)~国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り=(略)」となっています。微妙ですね。うっかりすると読み飛ばします。しかし、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と変えられていることに愕然としないわけにはいきません。この草案全般に通じる「公」という文字の使い方が、自民党草案の最大の落とし穴だと私は思っています。私達が素直に考える「公」とは私達一般国民のことです。しかし草案全般に流れる「公」という文言の使い方は、はっきりと「おかみ」=「お上」=「エライ人たち」=「時の政権」という感覚でしか読み取れません。「公共の福祉」と言えば私達の間のことですが、「公の秩序」というのはお上が決めた秩序のことになるのです。ぜひご自分で読んでご自分でお感じになって下さい。とっても危険だと私には思えます

「日本国憲法自民党改正草案ナナメ読みシリーズ」 前文の巻

先日このテーマでいきなり昨今最も話題となっている「緊急事態条項」を読んでみてしまいましたが、そもそも「憲法前文」を読まないことにははじまりませんね。
あ、その前に「緊急事態条項」という章はないのですね、あくまで「第九章 緊急事態」であって、その中に98条 99条があり、それぞれに第四項まである、ということです(私と同じレベルの方々の為に念のため^^;)。三国志に「魏志倭人伝」という項目が存在しない、と同じ理屈であります(比喩が違うかな?)。
ま、次行きます。皆様、少なくとも改正草案の前文だけでも読んでください。現行憲法の違いに唖然とします。
まず、現行憲法の前文が文字通り「全文削除」されております。
まったくあたらしい「前文」と入れ替わっております。

憲法の前文とは当然「この憲法はこういう理念に基づいた憲法ですよ」という趣旨の内容です、その趣旨に基づいて全体の構成が矛盾無く表現されているものだと私は解釈いたします。

あえて現行憲法の前文は表記しませんが、まず前文が削除されていることに驚きます(あ、書いたかm(_ _)m)
しかし、削除するにはとてももったいない「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないよう」に決意したり、「主権が国民に存することを宣言」したり、「平和のうちに生存する権利」を確認したりしています。とても崇高で誇り高い内容です。
一方改正草案では
「日本国は天皇を戴く国家」であり、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」といった近視眼的な、又は、明治時代か富国強兵かというような中身となっています。少しも崇高な理念がしめされておりません。「天皇の為に、国の為に働いて、命は自ら守れ」と言っているようなものです。
この趣旨に基づいて憲法全体が矛盾無く構成されていくのです・・・。

もう、恐ろしくなったので、今日はここまででやめておきます。
夕食の時間だし。酒がまずくなる(>_<)

※蛇足ですが、憲法引用の箇所は、現行憲法も改正草案も、文が長い場合は私が勝手に略している場合があります。私の文章を「ほんまかいな?」と思われた方は、是非ご自分でご確認下さい。それから私の文章に反論したり同意したりしてください。

市民政治とは

今日「市民政治を実現する北杜市民の会」という集まりがありました。なぜか私がいつのまにかその会に入っているではりませんか? しかも本日は司会進行役でした(^^;) 人は知らずにこのようにして何かに引きずり込まれていくのですね。嫌いな内容ではないので、まぁいいのですが、ここにいる以上は、楽しくここにいないとね♪ 私流に楽しくやってクビになればそれまでです(^_^)v

この会で出会うコアな方々とは古くからの知己ではありましたが、そうでない方々が圧倒的で、しかも初対面の方々がとっても多いのですね。それが新鮮で、それだけでもおもしろい会だなあと思いました。
「政治的」な話しを知らない方々とお話をするって、とっても刺激的でワクワクします。そして皆さんとても博学、私の知らないことだらけ。皆さん、いつそんなことを勉強するんだろう、と思うばかりデシタ・・・。こりゃ、クビになってもここにいたいかな(^_-)

さて、そもそも「市民政治」ってなあに?ですよね・・・
私の理解では、今行われている国の政治は少なくとも「市民政治」ではありません。
客観的な事実に基づいていないのに、言葉の強い人や権力を握った人が「こうだ」といえば皆がそれになびいてしまう。信じてなびいている人もいるでしょうが、多くは忖度してなびいているのでしょう。そのような政治形態をなんというのかは知りませんが、少なくとも市民政治ではありません。
市民政治というのは、そのような自由主義社会を成り立たせている最低限の約束ごとや、人間の尊厳が冒されたときに、それをただす為に、市民みずからが政治にコミットしていくということです(by佐々木寛)
別の言葉で言えば、今の奇妙な政治形態を見てあきれているのに、ただ言論の自由があるからと批判ばかりしていて何も行動を起こさない市民のありかたを「観客民主主義」と言い、市民が政治に参加する「参加民主主義」が実現してこそ、「市民政治」が正常になされている社会だ、ということが言えるでしょう。
では「政治に参加する」とは何か。私達はすぐに議員として立候補することだと思ってしまいます。しかしそんなことは誰にも出来ることではありません。では何をするか・・・?
選挙になると特定の候補者のチラシをまいたり、知り合いに働きかけをしたりという行動を起こす人がいますね。日本人はどうも、そういう人は特殊な人、政治のプロ、政党に関係している人、だと思ってしまうクセがあります。しかし、そのような行動を取ることこそが「政治に参加する」ということなのです。私達市民が普通にそのような行動をとれることこそが、正常な「参加民主主義」だということになります(by佐々木寛)
自分と少しでも考え方の近い立候補者や政党を応援するのは当たり前のことです。また、あちこちでそのような話しをすることも当たり前です。そのような社会でなければなりません。社会がそのようになっていなければ、気づいた人から行動をおこすべきです。
政治には無関心であっても、無関係ではいられません。無関心でいるうちにいつの間にか年金は75歳以上となり、家の四方はソーラパネルとなり、兵隊にとられ、学費が三倍になり、健康保険が二倍になっていくかもしれません。政治は生活と密着しています。無関心でいる間に、特にこれからの若い方々のすむ社会は、「お国の為に」死ぬまで尽くさないといけない社会に変貌していくことになるでしょう。今のアベ政治は間違いなくその方向です。
というような、少しカタイ話しが、ちっともカタク感じられなくなってきた私です(^_^)v これも「飛矢崎雅也さんと語るハンナアーレント」の連続七回の講演会のお手伝いをさせていただいたからでしょう。飛矢崎さん、有難うございます。
ホントにそういう社会になっていくのかどうかは、お互いの考え方もあるでしょうから、大事なことは、そのような話題をいつでもどこでもできる環境が、この社会になければならない、ということです。しかし残念ながら今の社会は、職場内でも、友人仲間でも、地域でも、タブー視されているようなところがあります。

今日の集まりでは主題を「山梨県政に求めること」「山梨県議会議員に求めること」の二つに絞って、これからの山梨はどうあって欲しいか、議員に何を求めていくか、などなどを出来るだけ具体的な項目にしてあげてもらいました。
いや~沢山あがったなあ(^_^)v よくそんなにでてくるなあと思うくらい(司会としてはやりやすかったのでホッとしました)
こういうカタイ話しも、今日のような「誰に忖度するでもなく、自由に意見が述べられる場」がありさえすれば、皆さんちゃんと喋ってくれるのですね。そして誰も誰かの意見を否定しない、それが良かったですね。活発な意見交換と意見発表の場となりました。もうホントウに今日参加した皆さんが全員県会議員になればいいと思うような、ご意見ばかりでした。

「語り場」「語れる広場」「語る空間」「語れる空気」というのは本当に大事だと感じた時間でした。

「市民政治を実現する北杜市民の会」は、今日集まったご意見を集計し、集約して、来年四月の県会議員選挙にむけて活用いたします。どのように活用するかは、11月の末に、会として記者会見を開き、発表いたします。乞うご期待です。
市民政治を実現する北杜市民の会-1
なを、県政や立候補予定者に質したい質問や要求は、まだまだ受け付けています。「参加型民主主義」「市民政治」を皆さんで実現していきましょう。
多賀までメールください
taga-ya@pairhat.jp
また、それとは別に、この会では、来年四月の県会議員選挙に立候補する方を探しています。自薦他薦あればその方のお名前も教えてください。
楽しい選挙、楽しい県政、そして楽しく暮らせる郷土を目指しましょう。

飛矢崎雅也さんと語るハンナ・アーレント第五回(9/28)

「ハンナ・アーレント」をご存じですか。映画「ハンナ・アーレント」で知られるように、第二次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人の女性です。1960年代初頭、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンのイスラエルでの歴史的裁判に立ち会い、彼女がアメリカの雑誌に発表したレポートは、世間から激しい非難を浴びます。しかし、その重圧に悩みながらも、アーレントは「人間は考えることで強くなる」という信念を貫き通し、本当に必要なものは何かと私達に問いつづけます。

言語文化教育研究所八ヶ岳アカメディア」は、そんな呼びかけで「今、女性の生き方・社会・政治とは?」というテーマを軸に、山梨県北杜市内で全7回の講演会を開催中です。今回はその第五回。毎回活発な質疑応答が展開され、市民の方々の関心の高さが伝わってまいります。講演するのは飛矢崎雅也さん。44歳、新進気鋭の政治学者・政治思想史家・明治大学講師です。

今日(9/28)は北杜市明野町総合会館で開催されました
飛矢崎さん3-1
窓からの風景が爽快な開場です。八ヶ岳の全貌が目に入って心地よく、これらな会議もすすもうというものです♪
飛矢崎さん3-2
前回と同じく、主催者のほそかわさんが講師の飛矢崎さんと対話をしながら、という形で進行していきます。とても分かりやすく、聴いている方々の戸惑いもありませんでした。実は第一回目の講演会の折りは、飛矢崎さんの大学講師らしい難解なお話の進め方に、少し戸惑った方々もいらっしゃったのです。が、前々回あたりから内容が洗練されてきまして、さすが五回目ともなると、ほそかわさんとの掛け合いもよりスムースとなって、とっても分かりやすく、そして熱のあふれる時間となったのでした。その証拠に、本日の参加者さんからの質問の中身の濃さ! 質疑応答の活発さ、今まで最高の内容ではなかったでしょうか。ここではいちいち皆さんから出た質問内容や質疑応答の中身を書き出しません。その都度違って良いからです。次回もきっと活発な話し合いの場となるでしょう。 こういう開かれた「政治や、政治的なこと」について自由に対等に話せる場に参加したい方は、是非後二回となってしまった講演会にご参加下さい 無料です。10月5日(金)14:00から白州総合会館談話室にて開かれます。

全く違う話題でしかも個人的な話題ですみませんが、私は「八ヶ岳UFOコンベンション」という不思議な(^^;)集まりを年一回主催しています。今年で10回目になります。毎回全国から100名以上の参加者が来てくださるのですが、皆さん口々に「いや~UFOのことなんか職場ではもちろん、仲間内でも、居酒屋でも話題にできません。ここに来ると誰とでも自由に思いの丈を話すことが出来るのが、とっても嬉しいんです」と言ってくれるのです。
たかがUFOのことですら、社会では自由に話題に乗せられない、という状況です。馬鹿にされるのでしょう。まぁUFOで馬鹿にされるくらいなら、まだいいでしょうが、政治的なこと、社会的な問題になっている事柄などを話題にして疎まれる、という現在の社会的状況はいったいいかがなモノなのでしょうか。
この講演会は、そういった社会状況を打破したい、という飛矢崎雅也さんの思いが強く入ったものにもなっています。「参加型政治とは」「市民政治とは」といった事柄を具体的に示してくれる二時間は、だれもが聞かなくてはもったいないものになっています。
今後は、この講演を聴いた方々が率先して、女性の社会進出の話題も、原子力発電の話題も、憲法9条の話題も、職場でも居酒屋でも、自由にしかも多様な意見を尊重しつつ、対等に話せる場を作っていく努力をしていってくだされば有り難いと願っております。

お!!!!今沖縄ではデニーさん圧勝というニュースが入りました♪(9/30 21:40)まだ開票1%なんですが!? 出口調査ではデニーさんが圧倒的だったということで、当確となりました。

上から目線の統治ではなく、自由で対等で多様な考え方を持った話し合いの中から進むべき道を選んでいくというデニーさんの政治思想(飛矢崎さんがいつも語っていることです♪)が、沖縄県民の皆さんの思想と一致したものと考えます。おめでとうございます。

北杜市も その道を進みましょう♪

新説・明治維新 読後

私のFBによく出てくる広告「誰も言わない明治維新の真実 新説・明治維新 西鋭夫著」という本。なんか胡散臭く、放っておきましたが、よく見ると「定価2980円の本を郵送料だけ」でOKと書いてあるではありませんか(^^)/ じゃ、買ってみるかとポチしたら、今日届きました。間違いなく送料だけで届き、中に請求書なども入っていませんでした♪。包みを触ってみたらやけに薄い(ざっと100ページ)ので、これで2980円はないだろうと思いましたが、イザ開封して読み始めると、これがなかなか面白い♪ 明治維新のことよりも、他のことが面白い。
「日本では盛んに国際化、グローバル化という言葉が大流行しているが、つまりは欧米化の別名だ。独自の文化や道徳を廃棄することに他ならない。アメリカの大学へ入学のための英語検定のTOFELがあるが、これは日本人には難しすぎるので、日本人がTOEFLを作成している米国の会社に、日本人向けに易しい検定を頼んで作ってもらったのがTOEIC。これは日本と韓国でしか通用しない。アジア27カ国中TOFELランキングは26位。インドでは皆英語を話す、というが、それはインド人の誇りでしょうか」などなどと、なかなかに面白い。(上の文章は、私が西さんの文章をつなげたモノで、この本にその通りの文字列で書かれてあるのではありません)。
歴史は「お金の流れを理解すると見えてくる」というのがこの本の骨格。資金がなかったはずの倒幕軍に、南北戦争が終わって不要になったアメリカの大量の中古武器を、イギリスが日本の植民地化の為に、長崎のグラバー邸を基地に渡していた。それで明治維新成立。文明開化・富国強兵だと喜んでいるが、日本には文明がなかったのか? 強兵にする理由は? さて、現在、在日米将兵4万人に毎年5000億円が流れている、ばかりか、アメリカの中古武器を大量に買わされている。
明治維新から第二次大戦まで77年
第二次大戦から平成30年まで73年
悲劇は繰り返されるのか。

ざっと流し読みしたので、もう一度熟読の必要があるが、なんとなく上のような理解をした。誤解もあるかもしれない。どなたかこの本をお読みの方がいらっしゃったら、レクチャーをお願いしたいものです。
めいじいしん

民主主義とは

佐々木寛さんの言葉「選挙は民主主義の定期試験です。市民は一夜漬けではなく、ふだんから勉強し、実践を積み、本番に臨まなくてはならない。民主主義とは、突き詰めれば、政治の素人である市民による『自治』です。
 ところが、いま学校教育では政治や宗教はタブー視されているようなので、若い人たちは、いわば無菌状態で育ちます。だから政治についての判断も未熟なままです。政治に参加したくても、どうしていいか分からない」


これは、若者だけでなく、学校だけでなく、私達大人の世界でも同じ事ですね。会社内での会話はもちろん、地域の集まりや、趣味の集まり、SNSなどでも、政治や宗教の話題はタブーとされているようなところがあります。政治のことについて、もっと知ろう、誰かに聞こう、と思っても、その「場」がありません。なので、いつまでも「無学の素人」のままです。他の方の意見に触れることもないまま、論戦をすることもないまま、「民主主義」の中に放り込まれます。佐々木寛さんは「市民がふだんから政治と民主主義について自由に議論し、学べる場をつくる」必要性を訴えています。

その「場」を飛矢崎雅也さんはギリシャ時代のアゴラ(公共空間=広場)になぞらえて、毎週一回の自分の講演会を、「広場」にしようとしてい(るように、私には見え)ます。今日はそれが成功していました。
飛矢崎さん1
今日は「飛矢崎雅也さんと語るハンナ・アーレント」の第四回でした。初めての「和室」でしたので、なんとなく寺子屋風でした(^_^)v いつも20名以上集まるこの「広場」に、今日は10名でしたが、相変わらず自由討論の時間は様々に熱を帯びた意見が飛び出しました。「広場」では上下関係もなく、しがらみもなく、司会進行する人物も存在せず、忖度しなければならない何物もないからです。真に「公」の広場とはそういうものだろうと思われました。「会議場で議論する」のとはまるで別物で「居酒屋で放談する」のともまるで別物です。

佐々木寛さんはさらに書いています「こういう場面に時には政治家や政党関係者などにもきていただく。市民と政治家が対等に議論し、互いにリスペクトする関係を作ります。そして政治家の方もそういう民主的な議論に育まれ『市民政治家』になっていく。それが私の描く、民主主義」だと。

ギリシアではソクラテス達が市民と自由な問答を交わし、ローマでは手狭になった広場をカエサルが資金を出して拡張したのだそうだ。日本にもそうした「広場」をつくりたい。

それはそうと、今日の進行は今まで三回とは異なって、細川さん(この会の主催者)が講師の飛矢崎さんと問答しながら話を誘導していく、という展開だった。今何が語られ、次の話とどう関係するか、などの起承転結があって、分かりやすく聞けた。飛矢崎さんの「思いの丈」を全て語り尽くすといった趣向の前三回と比べて、飛矢崎さん自身には物足りなかったかもしれないが、聴講している私達には丁度いい話の密度だった。

次は一週休んで9月28日(金) 14:00~16:00 明野総合会館 中会議室で開催されます。どなたも参加できます。無料です。毎回話のとっかかりは「ハンナ・アーレント」というナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人の女性の話しから始まります。検索して事前にある程度知っておくと、講義がより楽しく聞けるでしょう。

次回もさらなる展開がありそうな予感がしてとても楽しみです。