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読んだ本のことなど。

このFC2ブログは無料なので、日記をサボっているとヘンな広告がTOPページに出てきてしまいます。ので、たまには書き込まないといけません。どうも一度サボるとクセが付いてしまいますね。というわけで、「読んだ本のことなど」を書いてお茶を濁そうかと思います。

今日読んだ本の中に、「母」は近くにおり「お袋」は遠くにいる、という一節がありました。

なるほどなあ、特に男性の場合はそうですね。「お母さん」というのは直接呼びかける言葉ですが、「お袋」というのは、家を離れている時に母のことを他人と話題にする場面などに使います。

「父さん」と「親父」の言語関係もそうなんだろうなあ。親父も男言葉ですね・・・。

なんてことをあれこれ考え始めると古代日本語の誕生と古代韓国語の関係とか、いろいろ調べたくなりますが、今日はここまで。
広告を消せばいいので(^^;)

しかし、
「母」も「父」も、とっくに「遠くにいる」言葉となってしまったなあ・



「10年一昔」か「10年一未来」か?

明日は(お、もう今日だ)、10年続いた「八ヶ岳UFOコンベンション」の最終回だ。10年前はどんな様子だったかなと、この日記の10年前を調べていたら、第一回八ヶ岳UFOコンベンションを開催した2009年の11月に、それまで10年続いていた「小海線貸し切り」のお遊び「やつねっとクリスマスとれいん」の最終回の告知をしていたのを発見。それも「ファイナル」という文言を使用していた(^^;)芸が無いなあ、10年前も10年たっても。
ま、それはともかく、同じ11月に「蓮田市歩こう会」との交流ウオークも9年目を迎えていた。いろいろ活動していたんだなあ。
今年は「八ヶ岳歩こう会」の20周年であり、来年になると「婚活de八ヶ岳推進委員会」が10年目となる。いろんなコトも10年やると、マンネリになってしまうのか、いろいろ問題点も見えてくるのか、なんとなく「一区切りだなあ」と力が抜けるのか。
そういえば2002年から始まった「ブルーベリーとオオムラサキの里ウオーク大会」も丁度10年でやめた。もっとも、その年から「信玄の棒道大会」を開始したが(これは5年でやめた)。
いろんなことを主催してはやめてきたが、私の継続力は10年が限界、といったところなのだろう。飽きっぽい私がペンションを25年も継続したのは快挙だったと思う。まぁこれはかみさんのおかげだが。歩こう会も多くの会員の力で現在も継続している。25年を超えるのかどうか楽しみだ。
UFOコンベンションをやめて、次なる何かをやるかどうか、はまだ未定。何かを始めると、最初の趣旨はどこへやら、次第に「継続していくこと」が義務化していって、つまらなくなる。
もっとも、来年から何か初めて10年続けてもまだ79歳だから、余力を持って終えられるか。最後の10年、何をやるかなあ、ちょっと我ながら楽しいかも。

国際放射線防護委員会(ICRP)とはなんぞや。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う民間の国際学術組織である。ICRPはイギリスの非営利団体(NPO)として公認の慈善団体であり、科学事務局の所在地はカナダのオタワに設けられている、とWikiに書かれている。ここが出す基準が、やれ厳しすぎるだの緩すぎるだの、そもそもウソッパチだ、という評までも記載され、評価の定まらない団体のようではある。
そもそもICRPの助成金の拠出機関は、「イギリス、アメリカ、欧州共同体、スウェーデン、日本、アルゼンチン、カナダなどの各国内にある機関からなされている」というが、どのような「機関」であるか不明であるし、「国際原子力機関や経済協力開発機構原子力機関などの原子力機関」なども加盟しているというのだから、すぐには信用がおけない。日本の原子力規制委員会のような立場だと考えるのが妥当だろう。
1924年 第一回「国際放射線医学会議 ICR」開催がきっかけだというから、それなりの歴史や権威はあるようだ。
Wikiはなかなか面白いエピソードを紹介している。
「核実験や原子力利用を遂行するにあたり、一般人に対する基準が設けられ、1954年には暫定線量限度、1958年には線量限度が勧告で出され、許容線量でないことは強調されたが、一般人に対する基準が新たに設定されたことに対して、アルベルト・シュヴァイツァーは、誰が彼らに許容することを許したのか、と憤ったという」
さらに面白い表現を使って不思議な説明をしている(^^;)
「1954年には、被曝低減の原則を「可能な最低限のレベルに」としていたが1956年には「実行できるだけ低く」、1965年には「容易に達成できるだけ低く」と後退した表現となり、「経済的および社会的考慮も計算に入れて」という字句も加えられ、1973年には「合理的に達成できるだけ低く」と表現の後退は続いて、現在に至っているようだ。
このICRPが出す勧告に従って日本は年間累積被曝量を20mSvとし、20mSvを超えた地域においては防護措置をとるという方針をとっている。
これを私達はどのように受け止めていいのだろうか。
本日(2018年10月26日)国連から日本に対して「子供や女性は帰還しないで&基準を1mSv/yに戻すべきだ」という勧告が出された。国連人権理事会・トゥンジャク特別報告の要旨は以下のようだ。↓
「我々は今後、福島で生まれ育つかもしれない子どもたちの健康について特に心配している」
「年間20ミリシーベルト以下という被ばく線量は、事故の前に安全とされていた年間1ミリシーベルト以下にすべきだ」
そのうえで、子どもや出産年齢の女性について、年間1ミリシーベルトを超える地域への帰還をやめるよう日本政府に要請。
これに対して日本政府はすぐさま「被災地の風評被害が助長される」として反発をしているが、私は助成金の拠出機関があいまいで利権がらみも見え隠れする「国際放射線防護委員会」の決めた数値を盾にする内閣の主張よりも「国連人権理事会」の勧告の方に真があるような気がしている。皆さんは如何だろうか。

「日本国憲法自民党改正草案ナナメ読み」 基本的人権と幸福追求権

■うっかりFBにUPしてしまったこのシリーズ。私自身のオボエの為の記事でもありますので、こちらにも貼り付けておきます。

今更ですが、確認しておきます。「国民の生活が大事だなんていう政治はですね、私は間違っていると思います」と発言した稲田朋美議員の考え方は、自民党全員の考え方です。稲田議員だけが発狂している訳ではありません。その証拠が憲法改正自民党草案です。一読されたでしょうか?「基本的人権」がバッサリ削除されていますので、ご確認下さい。
現行憲法第十章 最高法規 第九十七条 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」
この堂々たる最高法規宣言をバッッサリと削除し、改正草案では、第三章 国民の権利及び義務 第十一条、第十二条で、「基本的人権は権利として有するが濫用してはならず、権利には責任と義務が伴う」という意味の稚拙な文章を書き加え、正体を現してしまっている。
一事が万事、自民党改正草案の文言は「俺様の言うことが正しいのだから、大人しく従っておれ」という政権側からの一方的な意欲(?)の押しつけに満ちていて、憲法の体をなしておらず、品がない上に、とても恥ずかしい。

■という記事をUPしましたら、読者の方から下記のような質問を受けましたので、私の回答(?)と共に下記にコピペしておきます。
【質問】勉強不足でお恥ずかしいのですが、改正草案では、13条の幸福追及権はどうなってるのでしょうか?個人的には、今の憲法の中で、誇るべき条文の一つだと感じているのですが…。
【回答】13条を読み比べてみたら、何気なく読んでいると、あまり変わっていないように見えます。 現行憲法では「(前略)生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り(中略)最大の尊重を必要とする」とあります。自民党草案では「(略)~国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り=(略)」となっています。微妙ですね。うっかりすると読み飛ばします。しかし、「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と変えられていることに愕然としないわけにはいきません。この草案全般に通じる「公」という文字の使い方が、自民党草案の最大の落とし穴だと私は思っています。私達が素直に考える「公」とは私達一般国民のことです。しかし草案全般に流れる「公」という文言の使い方は、はっきりと「おかみ」=「お上」=「エライ人たち」=「時の政権」という感覚でしか読み取れません。「公共の福祉」と言えば私達の間のことですが、「公の秩序」というのはお上が決めた秩序のことになるのです。ぜひご自分で読んでご自分でお感じになって下さい。とっても危険だと私には思えます

「日本国憲法自民党改正草案ナナメ読みシリーズ」 前文の巻

先日このテーマでいきなり昨今最も話題となっている「緊急事態条項」を読んでみてしまいましたが、そもそも「憲法前文」を読まないことにははじまりませんね。
あ、その前に「緊急事態条項」という章はないのですね、あくまで「第九章 緊急事態」であって、その中に98条 99条があり、それぞれに第四項まである、ということです(私と同じレベルの方々の為に念のため^^;)。三国志に「魏志倭人伝」という項目が存在しない、と同じ理屈であります(比喩が違うかな?)。
ま、次行きます。皆様、少なくとも改正草案の前文だけでも読んでください。現行憲法の違いに唖然とします。
まず、現行憲法の前文が文字通り「全文削除」されております。
まったくあたらしい「前文」と入れ替わっております。

憲法の前文とは当然「この憲法はこういう理念に基づいた憲法ですよ」という趣旨の内容です、その趣旨に基づいて全体の構成が矛盾無く表現されているものだと私は解釈いたします。

あえて現行憲法の前文は表記しませんが、まず前文が削除されていることに驚きます(あ、書いたかm(_ _)m)
しかし、削除するにはとてももったいない「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないよう」に決意したり、「主権が国民に存することを宣言」したり、「平和のうちに生存する権利」を確認したりしています。とても崇高で誇り高い内容です。
一方改正草案では
「日本国は天皇を戴く国家」であり、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」といった近視眼的な、又は、明治時代か富国強兵かというような中身となっています。少しも崇高な理念がしめされておりません。「天皇の為に、国の為に働いて、命は自ら守れ」と言っているようなものです。
この趣旨に基づいて憲法全体が矛盾無く構成されていくのです・・・。

もう、恐ろしくなったので、今日はここまででやめておきます。
夕食の時間だし。酒がまずくなる(>_<)

※蛇足ですが、憲法引用の箇所は、現行憲法も改正草案も、文が長い場合は私が勝手に略している場合があります。私の文章を「ほんまかいな?」と思われた方は、是非ご自分でご確認下さい。それから私の文章に反論したり同意したりしてください。

市民政治とは

今日「市民政治を実現する北杜市民の会」という集まりがありました。なぜか私がいつのまにかその会に入っているではりませんか? しかも本日は司会進行役でした(^^;) 人は知らずにこのようにして何かに引きずり込まれていくのですね。嫌いな内容ではないので、まぁいいのですが、ここにいる以上は、楽しくここにいないとね♪ 私流に楽しくやってクビになればそれまでです(^_^)v

この会で出会うコアな方々とは古くからの知己ではありましたが、そうでない方々が圧倒的で、しかも初対面の方々がとっても多いのですね。それが新鮮で、それだけでもおもしろい会だなあと思いました。
「政治的」な話しを知らない方々とお話をするって、とっても刺激的でワクワクします。そして皆さんとても博学、私の知らないことだらけ。皆さん、いつそんなことを勉強するんだろう、と思うばかりデシタ・・・。こりゃ、クビになってもここにいたいかな(^_-)

さて、そもそも「市民政治」ってなあに?ですよね・・・
私の理解では、今行われている国の政治は少なくとも「市民政治」ではありません。
客観的な事実に基づいていないのに、言葉の強い人や権力を握った人が「こうだ」といえば皆がそれになびいてしまう。信じてなびいている人もいるでしょうが、多くは忖度してなびいているのでしょう。そのような政治形態をなんというのかは知りませんが、少なくとも市民政治ではありません。
市民政治というのは、そのような自由主義社会を成り立たせている最低限の約束ごとや、人間の尊厳が冒されたときに、それをただす為に、市民みずからが政治にコミットしていくということです(by佐々木寛)
別の言葉で言えば、今の奇妙な政治形態を見てあきれているのに、ただ言論の自由があるからと批判ばかりしていて何も行動を起こさない市民のありかたを「観客民主主義」と言い、市民が政治に参加する「参加民主主義」が実現してこそ、「市民政治」が正常になされている社会だ、ということが言えるでしょう。
では「政治に参加する」とは何か。私達はすぐに議員として立候補することだと思ってしまいます。しかしそんなことは誰にも出来ることではありません。では何をするか・・・?
選挙になると特定の候補者のチラシをまいたり、知り合いに働きかけをしたりという行動を起こす人がいますね。日本人はどうも、そういう人は特殊な人、政治のプロ、政党に関係している人、だと思ってしまうクセがあります。しかし、そのような行動を取ることこそが「政治に参加する」ということなのです。私達市民が普通にそのような行動をとれることこそが、正常な「参加民主主義」だということになります(by佐々木寛)
自分と少しでも考え方の近い立候補者や政党を応援するのは当たり前のことです。また、あちこちでそのような話しをすることも当たり前です。そのような社会でなければなりません。社会がそのようになっていなければ、気づいた人から行動をおこすべきです。
政治には無関心であっても、無関係ではいられません。無関心でいるうちにいつの間にか年金は75歳以上となり、家の四方はソーラパネルとなり、兵隊にとられ、学費が三倍になり、健康保険が二倍になっていくかもしれません。政治は生活と密着しています。無関心でいる間に、特にこれからの若い方々のすむ社会は、「お国の為に」死ぬまで尽くさないといけない社会に変貌していくことになるでしょう。今のアベ政治は間違いなくその方向です。
というような、少しカタイ話しが、ちっともカタク感じられなくなってきた私です(^_^)v これも「飛矢崎雅也さんと語るハンナアーレント」の連続七回の講演会のお手伝いをさせていただいたからでしょう。飛矢崎さん、有難うございます。
ホントにそういう社会になっていくのかどうかは、お互いの考え方もあるでしょうから、大事なことは、そのような話題をいつでもどこでもできる環境が、この社会になければならない、ということです。しかし残念ながら今の社会は、職場内でも、友人仲間でも、地域でも、タブー視されているようなところがあります。

今日の集まりでは主題を「山梨県政に求めること」「山梨県議会議員に求めること」の二つに絞って、これからの山梨はどうあって欲しいか、議員に何を求めていくか、などなどを出来るだけ具体的な項目にしてあげてもらいました。
いや~沢山あがったなあ(^_^)v よくそんなにでてくるなあと思うくらい(司会としてはやりやすかったのでホッとしました)
こういうカタイ話しも、今日のような「誰に忖度するでもなく、自由に意見が述べられる場」がありさえすれば、皆さんちゃんと喋ってくれるのですね。そして誰も誰かの意見を否定しない、それが良かったですね。活発な意見交換と意見発表の場となりました。もうホントウに今日参加した皆さんが全員県会議員になればいいと思うような、ご意見ばかりでした。

「語り場」「語れる広場」「語る空間」「語れる空気」というのは本当に大事だと感じた時間でした。

「市民政治を実現する北杜市民の会」は、今日集まったご意見を集計し、集約して、来年四月の県会議員選挙にむけて活用いたします。どのように活用するかは、11月の末に、会として記者会見を開き、発表いたします。乞うご期待です。
市民政治を実現する北杜市民の会-1
なを、県政や立候補予定者に質したい質問や要求は、まだまだ受け付けています。「参加型民主主義」「市民政治」を皆さんで実現していきましょう。
多賀までメールください
taga-ya@pairhat.jp
また、それとは別に、この会では、来年四月の県会議員選挙に立候補する方を探しています。自薦他薦あればその方のお名前も教えてください。
楽しい選挙、楽しい県政、そして楽しく暮らせる郷土を目指しましょう。